笑福亭鉄瓶のスゴすぎる“鶴瓶愛” アルタ前出待ち2年間、上京当時は青山霊園で野宿
落語家の笑福亭鉄瓶(しょうふくてい・てっぺい)が、さる11月6日に東京・日比谷コンベンションホールで独演会を行った。鉄瓶はタレントで落語家の笑福亭鶴瓶の12番目の弟子だ。2021年から、鉄瓶自ら題材を集めて取材した話を落語にする「ノンフィクション落語」を確立。独自の路線で注目を集めている。
「鶴瓶噺」に憧れ上京、執念でつかみ取った弟子入り
落語家の笑福亭鉄瓶(しょうふくてい・てっぺい)が、さる11月6日に東京・日比谷コンベンションホールで独演会を行った。鉄瓶はタレントで落語家の笑福亭鶴瓶の12番目の弟子だ。2021年から、鉄瓶自ら題材を集めて取材した話を落語にする「ノンフィクション落語」を確立。独自の路線で注目を集めている。(取材・文=コティマム)
鉄瓶はノンフィクション落語の他に、自身の日常ネタを語るスタンダップトーク「鉄瓶トーク」も行っている。この鉄瓶トークのもとになっているのが、師匠・鶴瓶の「鶴瓶噺」。独演会後に話を聞くと、鉄瓶の並々ならぬ“師匠愛”が見えてきた。
独演会は鉄瓶トークからスタート。私服姿で登場した鉄瓶は、日常の実話をもとに小噺を行う。扇子や手ぬぐい、上方落語特有の見台(けんだい)といった小道具はなく、ステージで立ったまま話を進める。「東京行きの新幹線の中で、おばちゃんたちがみかんの交換をしていた話」や、「レギュラー番組のフロアディレクターがテンパっていた話」など、どれも実際に日常で目に留まった話をもとに展開していく。この日は8つのエピソードを30分に渡って話し続け、会場では度々笑いが巻き起こった。鉄瓶トークでの鉄瓶の姿は、声も立ち居振る舞いも鶴瓶そっくりで驚いてしまった。
――芸能界を目指したきっかけが、師匠の笑福亭鶴瓶さんですね。日常をテーマにトークを繰り広げる「鶴瓶噺」に憧れていたと。
笑福亭鉄瓶(以下、鉄瓶)「高校生の頃に、うちの師匠と上岡龍太郎さんがやってた『鶴瓶・上岡パペポTV』(※読売テレビ制作、1987~98年まで全国放送されたトーク番組)を見て、『おもしろいおっさんやな』と。普段起こったことをそのまましゃべる。『自分というフィルター』を通して、初めてのお客さんに『昨日こんな人に会いまして、おもろいやろ?』と伝える。オチはいらないんです。そのしゃべりに憧れて、『俺もこんな風にしゃべりたいな』と思ったのがきっかけです」
――21年前に22歳で弟子入りされていますが、養成所やオーディションではなく、なぜ弟子に?
鉄瓶「大阪ならNSC(吉本総合芸能学院)もあるけど、『鶴瓶噺』をやりたかったので。どう考えても、21年前も『弟子っこ=売れる時代』じゃなかった。それでも、『この人と一回生活してみたい。この人と同じ空気を吸ってみたい』という気持ちが勝った」
――弟子は公募しているのですか?
鉄瓶「いやいや、求人サイトに載せるのとはちゃいますからね(笑)。突撃です(笑)」
――突撃!
鉄瓶「師匠は当時、(タレント活動のため)落語会に出てなかったので、楽屋で待ち伏せすることもできない。パペポや他の番組も全部収録ものなので、収録日が分からない。だから出待ちすることができない。家を調べることはできたけど、それはすごい嫌やったんです。ご近所さんに変な目で見られたら、師匠に申し訳ないなって。じゃあどうしよう? 『あ、そうや、アルタ前や!』と、こう思ったわけですよ」
当時、「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で木曜日レギュラーを務めていた鶴瓶。同番組は新宿駅前のスタジオアルタで生放送されていた。「生放送なら出待ちができる」と考えた鉄瓶は、高校卒業後に大阪の郵便局でアルバイトしてお金を貯め、20歳で上京。青山霊園で野宿しながら次のバイト先と住む場所を決め、毎週木曜日に鶴瓶の出待ちをすることになった。
師匠・鶴瓶の教えは“気”「スキルじゃなくて『筋が通ってないよ』という部分」
――弟子入りまでにどれくらい期間がかかりましたか?
鉄瓶「2年かかりました。ちょうど僕の1つ上の兄弟子が師匠の家を卒業して。師匠の奥さんが『もうお父ちゃん、弟子とらないで!』と言っていた頃に、僕の声がけが始まった(笑)。毎週木曜日にアルタ前で入り待ち・出待ちしても、『とらへん! もうええ、もうとらへんから』。ずっと毎週そればっかり。2年かけてようやくOKが出た。師匠も根負けでとってくれはったんやと思う」
――弟子になってからはどんな生活を?
鉄瓶「朝5時半に師匠の家に行って、『帰れ』と言われるまで家にいる。ひたすら家のことをやる。『笑福亭は家が大事』。それは(鶴瓶の師匠の)六代目笑福亭松鶴師匠の教えやった」
――鶴瓶師匠から芸を学ぶことは?
鉄瓶「ないです(笑)。うちの師匠も当時は落語をしていなかったし、師匠も松鶴師匠に落語は教えてもろてないんです。師匠は『落語なんか自分で頑張って努力して勉強せぇ。出稽古も行けるし、桂や林家の師匠に教えてもらえる。俺はとにかく、この世界で頑張っていくための“気”は教える』と。でも早いうちから番組の前説をやらせてもらって、勉強させてもらいました」
――鉄瓶さんの芸に対しては何か指導が?
鉄瓶「ほんまにうちの師匠は何も言ってこない(笑)ダメなときだけ、『お前それはあかんで』と。でもたいがい『あかん』っていうのは、僕のスキルが『あかん』じゃなくて、『筋が通ってないよ』という部分。ほんまに“気”なんです」
――独演会冒頭の鉄瓶トークは、鶴瓶師匠にそっくりでした!
鉄瓶「僕ね、自分でも気持ち悪いですけど(笑)、一門の中でも上位クラスで似てます。『まねしても超えられへんもん』をまねしてるという不安はある。でも憧れの人のもとで一緒に暮らして、同じスタイルで芸ができる。もともと鶴瓶噺がしたくてこの世界に入ったから、せめて自分で仕切っている独演会では自分のしたいこともやりたいなと思って、落語とは別に鉄瓶トークもやってます」
――鶴瓶師匠は、日常のネタをノートに1行ほどで書き留めて鶴瓶噺で話されていますね。鉄瓶さんも書き留めているのですか?
鉄瓶「はい。(実際に手帳を持ってきて)こんなふうにメモしてます。新幹線のみかん交換のネタは今朝の話で、手帳には『新幹線、団体、みかん交換』って書いてるだけ。これで十分しゃべれます。うちの師匠も1行メモで10~13分はしゃべる。このメモの中から、『今日なにしゃべろう』を抜粋してやってます」
――鶴瓶師匠からは「ノンフィクション落語を続けろ」と言われたそうですね。
鉄瓶「『お前なりの一個の、自分のものっていうのが大事や』と言われました。師匠も薄々気づいてたんじゃないですかね。『100%、俺のまねばっかりではあかんぞ』と。聞いてはないですよ、絶対にそんなことは言わはりませんから。でも、『ええ感じになってんねんから、もう一皮向けやなあかん』って、思ってはったんじゃないですか」
――まるで鶴瓶師匠が話してるみたいでびっくりします(笑)
鉄瓶「ぼく、師匠が好きすぎるんですよ(笑)。師匠の前では今も緊張しますからね。大好きですから。鶴瓶愛があふれすぎている(笑)」
――そんなに愛されて鶴瓶師匠も幸せですね。
鉄瓶「この気持ちに気づいてほしいです(笑)」
□笑福亭鉄瓶(本名・天野幸多郎)奈良県出身、1978年8月14日生まれ。2001年に笑福亭鶴瓶に入門。著しい成長株として若手を引っ張る上方落語家のリーダー格。独演会では「古典落語」と身近に起こった日常ネタの「鉄瓶トーク」を披露する独自のスタイルで好評を得ている。21年11月、自身初の試みとなる「ノンフィクション落語」を披露し完売御礼。13年「第50回なにわ芸術祭」新人賞受賞。16年「第71回 文化庁芸術祭」大衆芸能部門新人賞受賞。