棚橋弘至の涙に「泣くなよ、お前」「俺引退じゃないんだぞ!」 藤波辰爾戦が残したもの

メインで藤波辰爾をハイフライフローで撃破した棚橋弘至(新日本プロレス)は、バックステージで藤波と握手を交わすと、感極まった。

バックステージで握手を交わした藤波辰爾(左)と棚橋弘至【写真:山口比佐夫】
バックステージで握手を交わした藤波辰爾(左)と棚橋弘至【写真:山口比佐夫】

バックステージで感極まった棚橋 憧れ続けた藤波の背中

「TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY THE NEVER GIVE UP TOUR FINAL」(12月1日、東京・国立代々木競技場第二体育館)第6試合、60本一本勝負

 メインで藤波辰爾をハイフライフローで撃破した棚橋弘至(新日本プロレス)は、バックステージで藤波と握手を交わすと、感極まった。

「トップを張っている選手は強いね。頑張っていたつもりですけどね。さ、何かあれば」

 藤波が戦いぶりを称えると、棚橋は笑顔から一転、真顔になって語り出す。

「藤波さん、50周年おめでとうございます。今年のキャリアが23年です。まだ半分いってないです」とデビュー51年になる藤波と比較。

 そして、「僕、プロレスラーになりたくて、藤波さんを目標に……頑張ってきたことは……間違いじゃなかったなって今日思いました。ありがとうございました」と言葉を絞り出しながら涙声で感謝した。

 藤波から「泣くなよ、お前。俺引退じゃないんだぞ!」と制せられて、湿っぽい空気は吹き飛んだが、藤波を追いかけ、プロレスの世界に飛び込んだ青年棚橋の面影がよぎった瞬間だった。

 今でこそ、独自のスタイルを確立している棚橋だが、飛龍二世と呼ばれた時期もあった。2003年11月、藤波がアントニオ猪木とのパラオ会談を終えて引退会見を開いたその日、新日道場で真っ先に藤波の“引退阻止”を表明したのは棚橋だった。藤波が新日プロを去るまでは、ドラゴン殺法の継承など色濃い師弟関係にあった。

 その後、棚橋は新日プロの低迷期を支える。オカダカズチカらの台頭もあり、団体が復権すると、エースとして不動の地位を築いた。同時に“藤波色”も薄れていった。

 まだ若手の1人に過ぎなかった20年前の一騎打ちとは、何もかもが異なる状況で迎えたこの日の藤波とのシングルマッチ。しかし、リング上で肌を合わせて棚橋が感じたのは、68歳にしても変わらない“レスリングマスター”藤波の姿だった。

 ファーストコンタクトのロックアップから、驚きが全身を駆け巡った。「現役の選手の誰よりも重かったです。本当に。ロックアップというのはプロレスの基本動作ではあるけども、ここを制したものが次の展開に動ける。最初、ロックアップ入ったときにバック取ってやろうと思ったんですけど、がっちり来られたのでバックに回れなかったです。すごい」。戦い終えると、胸にこみ上げるものを抑えられなかった。

こん身のハイフライフローで3カウントを奪った【写真:山口比佐夫】
こん身のハイフライフローで3カウントを奪った【写真:山口比佐夫】

棚橋が合同トレを熱望 藤波は「もう1回チャンスくれるのか」

 藤波は「ちょうど僕が猪木さんを独り占めにしたいというのと、全く同じ心境か分かりませんけどね」と棚橋の気持ちを察した。2人の関係は、藤波のデビューから50年に及んだ猪木と藤波の関係をほうふつさせるものがあった。

 右足の不調で、思うような動きができなかったことを悔いた藤波に対し、棚橋は「藤波さん、もう一度、僕と一緒に肉体改造してください。藤波さんと朝ランニングがしたいです」と合同トレーニングの実現を熱望。藤波も「お、もう1回チャンスくれるのか。ヨシ」と笑顔でうなずいた。

 再び、動き出した師弟のストーリー。プロレスは歴史とドラマをつなぐから面白い。そう思わせた棚橋の涙だった。

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