【特別インタビュー】NHK朝ドラ挿入歌「さいなら」が好評の「TKO」木本武宏が語る人生で一番悲しかった別れ

「スカーレット」で歌う姿を見せてあげたかった【写真:山田隆】
「スカーレット」で歌う姿を見せてあげたかった【写真:山田隆】

母親が最後に木本さんに望んだことは

 あるとき、母親に「何かしてほしいことあるか?」と聞いてみたんです。そしたら「『笑っていいとも!』でタモリさんの隣に座っている姿を見たい」と言うんです。「それはもうちょっと時間がかかるから、ほかには?」と聞いたら、「結婚式」と言うので、高校時代から付き合っていたカノジョーー今の嫁と結婚式を挙げました。それが2001年4月25日。母親はそこからみるみる弱って、5月17日に亡くなりました。

 その日はライブの打ち合わせがあって、「ちょっと行ってくるわ」と実家を出たんですけど、いつもなら「ゆっくりしてきたらええで」と言うのに、「はよ帰ってきてな」と言ったんです。変やな、と思いながら家を出て1時間半後に、発作を起こして亡くなった、と父親から電話がありました。今、思い出しても涙が出るぐらい悲しかったけど、母親は亡くなる直前、家族1人1人に挨拶するように、お造りやパフェをおいしそうに食べる姿を見せて逝ってくれたんです。僕にとって大切な記憶です。2年間、一生懸命看病して、ほんまに一生懸命やるってどんなことなのか、お笑いももっと必死にやれるんちゃうか、と気づかせてもらいました。母親は命をかけて教育をしてくれたんやな、と思います。

母親へしたことへの後悔に何年も苦しんだ

 でも、亡くなってからは何年も、母親にやってしまった悪いこととか、暴言ばっかり頭に浮かんでました。僕は小学生の時は勉強がめっちゃ好きで「弁護士になる!」って言って、母親にはすごい期待をかけられていました。なのに、中学2年でものすごい反抗期になってグレてしまって、母親に「ババア!」なんて悪態ついたりしてたんです。そういうことへの後悔に、ほんま苦しみました。

 高校へ進んだら落ち着いて、高校卒業して「芸人なる!」と言い出したときも、父親には反対されたけど母親は応援してくれました。初めてラジオをやらせてもらってたとき、母親は毎回聞いてくれてました。帰宅したら、“あそこがどうやった、こうやった”って感想を書いた紙切れが食卓テーブルに置いてありました。僕がライブでちょっと自慢話しちゃったときは、観に来てくれていた母親に、「自慢話は笑われへん」と珍しくダメ出しされました。おかげで自虐ネタができるようになりましたね。母親が亡くなって、40歳手前でやっと「笑っていいとも!」に出させていただいたとき、母親に見せてやりたかったなと思いました。「スカーレット」で歌っている姿も見せてやりたかったですね。

□木本武宏 (きもと・たけひろ)1971年5月6日、大阪府大東市生まれ。府立大東高校(現・府立緑風冠高校)卒業後の1990年10月、中学時代からの友人・木下隆行を誘い「松竹芸能タレントスクール」入り。木下とコンビ「TKO」を結成し、1993年、お笑い番組「爆笑BOOING」(関西テレビ)で4代グランドチャンピオンになり関西で人気獲得。2006年に東京へ本格進出し、「キングオブコント」(TBS)、「爆笑レッドカーペット」 (フジテレビ)などで活躍。俳優としても活動し、2019~2020年、NHK連続テレビ小説「スカーレット」の田中雄太郎役が好評を得た。

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