授かり婚→自殺企図→離婚→10人家族へ 4男4女を育てる穂苅家の知られざるプロローグ
一家の大黒柱として4男4女を育て、YouTubeでその爆買いぶりが度々話題となる“名古屋のビッグダディ”こと穂苅万博さん。8人の子どもたちに囲まれる絵に描いたような幸せな大家族だが、過去には20代で興した事業に失敗し、多額の借金を背負って幾度も自殺を図るなど、壮絶な経験を重ねてきた。一時は離婚した妻・かおりさんと、どのように家庭を再生させていったのか。波瀾万丈(はらんばんじょう)の半生を聞いた。
妻・かおりさんとは交際0日で“授かり婚”、多額の借金を抱え一時は離婚も
一家の大黒柱として4男4女を育て、YouTubeでその爆買いぶりが度々話題となる“名古屋のビッグダディ”こと穂苅万博さん。8人の子どもたちに囲まれる絵に描いたような幸せな大家族だが、過去には20代で興した事業に失敗し、多額の借金を背負って幾度も自殺を図るなど、壮絶な経験を重ねてきた。一時は離婚した妻・かおりさんと、どのように家庭を再生させていったのか。波瀾万丈(はらんばんじょう)の半生を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)
穂苅さんとかおりさんの出会いは、穂苅さんがネットワークビジネスの販売員だった20代前半の頃。マルチ商法が社会問題化し、契約先の企業が摘発された穂苅さんは、24歳で成長期だった携帯電話の販売代理店を立ち上げ、当時の顧客だったかおりさんを社内に引き入れた。若手社長と従業員という立場ながら、いわゆる“授かり婚”で夫婦の契りを結んだという。
「自分がインフルエンザで寝込んでしまったときに女房が看病に来てくれて、そのときですね。立ち上げたばかりの小さい会社だったから、社内恋愛はご法度としていたのに、交際期間もないまま社長が社員に手を出した格好で、だいぶ都合が悪かった。それから8人もできることになるのだから、よっぽど夫婦としての相性が良かったのかもしれません」
当時穂苅さんの会社は深刻な経営不振に陥っており、多額の借金を抱えていた。道端で占い師から「子どもが生まれれば運が巡ってくる」と言われて思いとどまったこともあったが、追い詰められた穂苅氏は度々自死を企てるまでに憔悴(しょうすい)していた。
「もうまともな生活もできなくなって、女房は長男を連れて実家に帰っちゃってた。誰もいない自宅のマンションで、借金取りが怖くて電気もつけず真っ暗な部屋でじっとしてると、もう俺には何もなくなっちゃったんだと思って、そのままの5階の部屋から飛ぼうとしたら、虫の知らせというのかな、急に女房が帰ってきて。『死のうとしてた』なんて言えるわけがない。最近ですよ、ようやく女房とあの頃の話ができるようになったのは。そういうことが3回あって、3度も命拾いしたら、何か目には見えない大きな力を感じて、途端に怖くなっちゃって……。自分は生かされているんだ、一度死んだと思えばどうとでもなると、ようやく吹っ切れることができました」
かおりさんとは一度離婚が成立したものの、これで最後というタイミングで長男・博人さんの顔を見た穂苅さんは、どうしても踏ん切りがつかなくなってしまい、その後復縁。よりを戻してすぐ次男・拓也さんを授かった。会社を廃業した穂苅さんは新たに入社した会社で営業仕事と夜間のコンビニバイト、かおりさんは競輪場のアルバイトとスナックを掛け持ちし、夫婦で昼夜を問わず働いて約3年で借金全額を完済した。
「よりを戻したといっても、夫婦円満という感じでは全然なかった。働いても働いても働いても借金は減らない。博人も叔父のところに預けっぱなしで、夫婦ケンカも絶えなかった。そんなとき、教会に誘われて夫婦でクリスチャンになって、ようやく人として落ち着いたというか、未来に対して希望を持った考えができるようになったんです」
4男4女の大家族も「たくさん作ろうということは全然なかった」
その後も三男・聖志(きよし)さん、長女・りべかさん、次女・みのりさん、三女・さやかさん、四男・煇(ひかる)さんと子宝に恵まれ、6年前には四女・結ちゃんが誕生。穂苅さん自身も22回の転職の末に米国発の能力開発プログラム「SMI」の販売代行という天職にめぐり合い、以来長きにわたって世界トップレベルのセールスを続けている。
「子どもに関しては、たくさん欲しいとか作ろうということは全然なくて、たまたまできたというか、本当に生まれるべくして生まれてきたと思っています。高齢出産となっていた5人目以降は医者から『次はもう(安全の保障は)ないよ』と言われていたし、結ちゃんのときは女房が46歳で『8割方障がいを持って生まれてくる』とも言われた。それでも、クリスチャンだからおろすという選択肢はなかった。
もちろん不安がなかったわけではないです。例えるなら塔の上に円盤を乗せて、そこに一人ずつ子どもたちを乗せていくイメージ。ちょっとでもバランスを崩したら全部崩れちゃうんじゃないかと。それでも女房と2人だったら乗り越えられると思っていたけど、結ちゃんのときは初めて女房から『もう無理』だと言われて。ずっとセールスマンとしてトップを走ってきて、止まったら積み上げてきたものを失うんじゃないかという怖さもあったけど、悩んだ末に初めて育休を取る決心をしました」
現在は次男の拓也さんが一人立ちしており、3LDKのマンション2世帯に穂苅夫妻と子ども7人、穂苅さんの両親と猫3匹が暮らす11人3匹家族。大型スーパー「コストコ」で家族全員分の食材や日用品など、1回20万円以上を買い込む“爆買い”動画はYouTubeでも人気を博している。
「YouTubeは10年ほど前に『日本一売り上げるセールスマン』としてちょっと有名になって、『売れる営業相談室』のような形で始めてみたんです。しばらくほったらかしにしてたものを、コロナ禍でまたやろうというタイミングで家族を出したら盛り上がって。子どもたちに関しては本人の意思を尊重して、出たくないという時期に無理強いはしなかったけど、今はみんな自然体で出てますね。いろんな経験をしてきましたが、一番難しくて責任を果たさなきゃいけないのは家族。プライベートを公開するというのは、一番誠実じゃないとできないことだと思ってます」
大家族となった今も、一人ひとりとの時間を大切に、あえてかおりさんや子どもたちとも2人きりで旅行に行く時間を大切にしている。人生の巡りあわせにはすべてに意味があるというのが穂苅さんの考え方だ。
「思えば長男の博人がいなかったら俺はあのとき死んでいたし、次男の拓也のときも日に日に大きくなる姿に励まされていた。8人いても一人ひとりに生まれてきた意味があって、それぞれが自分を父として成長させてくれたり、生きる意味を与えてくれたと思ってる。これまで家族のためにガムシャラに働いてきたけど、結ちゃんのときは育休を取って、休むことの大切さを覚えた。働き過ぎてもいけないよと、結ちゃんに命を救ってもらったんじゃないかと思ってます」
8人の子どもたち、そして何より最愛の妻・かおりさんが意味を与えてくれた人生。穂苅さんはこの先も家族のために走り続けていくつもりだ。
■穂苅万博(ほかり・かずひろ) 1970年8月3日、北海道出身。高校中退後、18歳で上京、電気工事士を経て20歳でネットワークビジネスの販売員を始める。24歳のとき携帯電話の販売代理店を起業するも、経営不振により2年あまりで廃業。その後営業職などを経て、32歳で能力開発プログラム「SMI」の国内エージェントに就任。以来世界トップレベルのセールスを続ける。私生活では4男4女を育てる10人家族の父。