大林宣彦監督を悼む 3時間の遺作は最後まで編集重ね…生きざまそのものが映画だった

大林宣彦監督が4月10日午後7時23分、肺がんのため東京・世田谷の自宅で亡くなった。82歳。奇しくも、この日は最新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の公開予定日だったが、新型コロナウイルスの影響で公開延期となっていた。

昨年11月、大林宣彦監督にとって最後の公の場となった第32回東京国際映画祭での様子【写真:ENCOUNT編集部】
昨年11月、大林宣彦監督にとって最後の公の場となった第32回東京国際映画祭での様子【写真:ENCOUNT編集部】

2度と戦争の悲劇を繰り返してはいけない決意が映画を作らせた

 大林宣彦監督が4月10日午後7時23分、肺がんのため東京・世田谷の自宅で亡くなった。82歳。奇しくも、この日は最新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の公開予定日だったが、新型コロナウイルスの影響で公開延期となっていた。

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 コロナウイルスが憎い。憎い、憎すぎる。非常事態宣言下、映画館が閉鎖され、大林監督の新作のお披露目の機会まで奪ってしまうとは……。しかし、公開予定日に息を引き取るとは、なんと壮絶な生きざまなんだろう。私たちに映画だけではなく、生きざまそのものを教えてくれたような気がした。生ききった、ということなのだろう。

 NHKの番組をまとめた「最後の講義 完全版」(主婦の友社)では、こんなことを語っている。

「死というものは、思いがけずやってきます。玄関を出た途端に空から何が落ちてくるかもしれないし、道を歩いているときに車が突っ込んでくるかもしれない。それでも映画を撮るときは『この映画ができ上げるまでは何があっても死なないぞ』という覚悟を決めています」「これが最後になるかもしれない。しかしこの最後の映画をつくり終わるまでは決して死なず、きちんとつくって未来の人たちに観てもらう。映画を未来に伝えていくんだ!」

 遺作「海辺の映画館」は、古里である尾道を舞台にした3時間の大作。海辺にある架空の映画館が閉館を迎える。最後に上映されるのは戦争映画特集。ファンが惜しむ中、映画が上映される。そこに訪れていた若者3人(厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦)はスクリーンに映し出される映画の世界に入り込んでいく……。幕末の会津藩、白虎隊と婦女隊の戦い、中国戦線、広島原爆の犠牲となる演劇集団「さくら隊」……。傍観者だった観客が、当事者になる、という仕掛け。そこには、大林監督の半生も挟み込まれる。

昨年11月の第32回東京国際映画祭に出席した大林宣彦監督と常盤貴子【写真:ENCOUNT編集部】
昨年11月の第32回東京国際映画祭に出席した大林宣彦監督と常盤貴子【写真:ENCOUNT編集部】

 それは2011年3月の東日本大震災以降、戦争をテーマにしてきた大林監督の集大成であった。敗戦後に青春時代を過ごした大林監督は、震災後の空気に似たようなものを感じ、日本の未来のためには、過去の戦争を伝えることが自分の責務との思いを強くしていた。

「海辺の映画館」は昨年11月、第32回東京国際映画祭で上映されたが、大林監督は密かに、さらなる編集を重ねていたという。そして、バージョンアップした新作は2月23日から古里・尾道市で開催予定だった「第4回尾道映画祭2020」でオープニング作品としてお披露目され、舞台あいさつする予定だった。それもコロナウイルスのため中止に。この公開初日も、関係者が監督の病状を気にかけながら、コロナの影響はあっても、なるべくなら予定通りに上映したいとギリギリまで調整を続けていたが、またもや延期になってしまった。

 卓越した映像美と編集の技術で独自の世界観を作り上げ、“映像の魔術師”と評されたが、根底にあるのは「映画とはフィロソフィーである」という考えだった。「映画は基本的にエンターテイメントですけれど、それは難しいフィロソフィーを分かりやすく伝え、風化させないためにそうしているのです」(「最後の講義」より)。

 最後の公の場であった東京国際映画祭のセレモニーでも、言葉の魔術にあふれていた。「黒澤(明)さんからは『戦争になるのは一瞬だけども、平和は400年かかる。だから、大林さん、僕たちの続きをやってくれよ』と言われました。未来のことは誰にも分かりませんから、後2000年、3000年は映画を作ろうと思います。それでないと、私が映画を作る意味はない。あの戦争を知っている私が、戦争を知らない若い人たちのために映画の学校を作り、ハラハラドキドキし、感動する物語を作り出したいと思っています」。

 その未来は観客や後輩の作り手に託された。自主映画出身の監督の道を切り開いた後には、大森一樹監督、森田芳光監督、市川準監督が続き、犬童一心監督、岩井俊二監督、樋口尚文監督らは“大林チルドレン”と称される。「転校生」(1982年)、「時をかける少女」(83年)「さびしんぼう」(85年)の“尾道三部作”をはじめ、多数のフィルモグラフィーもある。広島の一地方都市だった尾道市を全国に知られる“映画の街”にもした。大林監督の映画は学びの場でもあった。映画の学校の校長先生が残してくれた宝物はいっぱいある。

 今は、がんとの闘いを終えた大林監督に、「お疲れ様でした。ありがとうございました」と感謝を述べるとともに、一刻も早くコロナ禍が終息し、監督の最後のメッセージである「海辺の映画館」が早く全国のスクリーンで上映されることを願いたい。合掌。

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