尚玄「実際に拳が当たった」顔面あざだらけ…監督が求めたボクシングの“リアルな恐怖”

「一生記憶に残る作品」と語った尚玄【写真:山口比佐夫】
「一生記憶に残る作品」と語った尚玄【写真:山口比佐夫】

壮絶ボクシングシーン「僕の左フックが相手の鼻に入って、鼻血が止まらなく…」

――アッパーが入っていた。

「やっているときはアドレナリンが出てますし、その時は、痛さがわからないですからね。リアルな恐怖はありました。途中から、もうやるしかないと思って……。ただ、そのリアルな恐怖って、ボクサーたちもリングに上がる前に感じるでしょうし、それこそ監督が求めたものなのかなと思います」

――編集上のつなぎのこともあるので、ボクシングシーンは撮影の最後でしたか。

「全然、最後じゃないんです(笑)。途中です。ある試合のシーンでは1ラウンドで僕の左フックが相手の鼻に入っちゃって、鼻血が止まらなくなったんですよ。本当は何ラウンドか撮る予定だったのを止めて、結局1ラウンドTKO勝ちっていう設定にしちゃったんです。毎日何が起こるか分からないことの連続でした(笑)」

――ボクシングシーン以外で苦労した点はありますか。

「台本が与えられず、セリフが直前に紙切れで来ることですね。俳優って、事前にプランを用意しないと不安になる生き物。でも、監督のスタイルはその時間がないので、常にキャラクターでい続けないと成立しないんです。俳優として没頭できるのはとても幸せなことでしたが、その反面多くの苦難を抱えているキャラクターだったので気を緩める余裕がなかったです」

――クランクアップした時はどんな気持ちでしたか。

「本当、夢のようでしたね。というか、撮影中も夢みたいでした。まさかブリランテ監督と一緒に映画を作れるとは思っていませんでしたから。長い間そのキャラクターとして生き続けて、オンとオフの境がなかったので、現場の夢ばかり見ました。東京に帰ってきてからも、その状態が抜けなくて、終わってしまったことの喪失感が未だに残っています。今までここまでの喪失感はなかった。監督を信じていれば、何とかなるだろうと思って、やることはやり切ったので、今はOKを出してくれた監督を信じて、作品の完成を待つのみです」

――尚玄さんにとって、どんな作品になりそうですか。

「本当に一生記憶に残る作品だと思います。俳優として、その場で一瞬一瞬を生き抜き、今後も映画を作っていきたいなと思いました」

□尚玄(しょうげん)1978年6月20日生まれ。沖縄出身。大学卒業後、バックパックで世界中を旅しながらヨーロッパでモデルとして活動。2004年に帰国、俳優としての活動を始める。05年、映画「ハブと拳骨」でデビュー。08年にNYで芝居を学ぶため渡米。「Street Fighter 暗殺拳」、TV版「デスノート」など、現在は日本と海外を行き来しながら邦画だけではなく、海外の作品にも多数出演している。映画「ココロ、オドル」「ファンシー」が現在公開中。

ヘアメイク:立野正、衣装協力:BACKLASH

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