高橋和也、29年前の「男闘呼組」活動休止の真相を語る「原因は一つじゃなかった」
映画「追想ジャーニー」(11月11日公開、谷健二監督)で主人公の30年後を演じた俳優の高橋和也(53)は今年、「男闘呼組」での活動を29年ぶりに再始動させた。「男闘呼組」に抱えていた思いを語った。
空白の29年間「実際、4人がそろうことはなかった」
映画「追想ジャーニー」(11月11日公開、谷健二監督)で主人公の30年後を演じた俳優の高橋和也(53)は今年、「男闘呼組」での活動を29年ぶりに再始動させた。「男闘呼組」に抱えていた思いを語った。(取材・文=平辻哲也)
ボーカル、リードギター成田昭次(54)、ボーカル、ベースの高橋、ボーカル、ギターの岡本健一(53)、ボーカル、キーボードの前田耕陽(54)からなる「男闘呼組」。1988年2月、映画「ロックよ、静かに流れよ」(長崎俊一監督)が公開され、同年8月にシングル「DAYBREAK」でデビュー。活動期間は5年だが、ジャニーズ事務所では異色のロックバンドは今も伝説的な存在だ。
再始動はファンにとっても、高橋自身にとってもビッグ・サプライズだった。今年7月16日放送のTBS系音楽特別番組「音楽の日」に出演し、10月15、16日には東京・有明の東京ガーデンホールで昼夜2公演を行った。
「29年の時を超えて、昔の仲間ともう一度集まる。本当に絶対あり得ないと思っていた」
止まっていた時計が動いたのは3年前だった。
「成田昭次は名古屋にいて、その時は完全に一般人だった。彼に会いたくてメンバーで会いに行ったんです。4人のメンバーがそろって、音を出した時に一つにまとまった。不思議な感じでしたよね。一気に時を飛び越えて、昔に戻った。もちろん同じものではないんだけどでも、当時と変わらないものがあった。そこからですね」
セッションは6時間に及び、メンバーひとりひとりが曲ずつ選んだ。高橋が選んだのは映画「ロックよ、静かに流れよ」の主題歌「ロックよ、静かに流れよ -Crossin’ Heart-」だった。
メンバーの気持ちは固まったが、解決すべき問題は山積みだった。
「それぞれ事務所が違っていて、それぞれの活動があるし、権利の問題もあった。男闘呼組は本当に巨大なブランドなんですよ。みんなが納得してくれないと実現できないので、話し合いが必要だった。素晴らしいプロデューサーに出会え、一つ一つを乗り越えていったことで、現実味を帯びていった」。
本格的に動いたのは昨年暮れ。ミーティングの最中、今回の東京ガーデンシアターが会場の候補になり、MISIAのライブを見に行った。
「ぶったまげましたね。ここでできたらと思いましたね。『音楽の日』で復活を発表したら、ものすごい反響。ライブを発表したら、チケット争奪戦。でも、一番びっくりしたのは自分たちですよ。みんな待ってくれていた。ライブは人生最高の2日間だった。あんなに感動したことはないです」
空白の29年間についてはこう振り返る。
「実際、27年間、4人がそろうことはなかった。それぞれの人生があったし、家族があったし、僕も夢中になっていたからね。でも、気持ちが残っていたからこそ、成田昭次に会いに行った。それで出会ってしまったら、本当に最高だった。変わらない友情があると実感した」
93年の活動休止は突然だったが、その真相についてはあまり語られていない。そのことに水を向けると、重々しく口を開く。
「人生に何の後悔もない。最高の人生を歩ませてもらっていると思っている」
「様々な理由が重なっているんだけど、要するに僕らは若かったんだと思う。あの地点で行き止まりだった。僕がジャニーズ事務所を離れることになったけど、そこへいくまでも、僕ら1人1人がそろそろ独り立ちする時だと考えていたと思う。あの時点で、具体的にこれが問題でした、というわけではないんだよね。でも、結果的に男闘呼組が活動休止になったことで、それぞれが自分の道を歩み出し、その時間は人間としても、アーティストとしても必要だった」
高橋はジャニーズ事務所との契約を解消後、充電期間を経て、95年に豊川悦司を始め映画を中心に活躍する俳優を擁する「アルファエージェンシー」に所属し、新たな道を歩んだ。橋口亮輔監督の「ハッシュ!」(2001年)ではゲイの青年役を好演。映画は世界三大映画祭の最高峰、カンヌ国際映画祭に出品され、高い評価を得た。現在も映画を中心にドラマ、舞台と幅広く活躍している。
「人生に何の後悔もない。最高の人生を歩ませてもらっていると思っている。ジャニー喜多川さんにも感謝しています。あんな天才的なプロデューサーはいない。僕を救ってくれた今の事務所の社長やアドバイスしてくださった方々にはものすごく感謝していますね。あの方々がいたから、今の僕があると思っている」
私生活では6児の父だが、次々と独立し家を出ている。
「一番下の子どもは大学生ですけど、5人はみんな社会人ですね。心配もするけど、自分たちの力で生きていくしかないんだよね。どう生きていくかは個人の問題だし、遠くから見守るしかない。でも、それぞれがたくましく生きていてくれていることがすごくうれしいです」
長男・耕太郎と三男の海斗は「Tokyo Plastic Boy」というユニット名で活動中。「男闘呼組」の再始動ライブではオープニングアクトを務めた。
「最初はコンサートが終わった時に、Tokyo Plastic Boyの曲をかけて、お客さんにクールダウンしてもらうと提案したんだけど、プロデューサーから『オープニングアクトをやらせましょう』と。8000人の前でステージを披露したんだよね。僕も若い頃、ジャニーさんから、いきなり少年隊のコンサートに出してもらった経験があって、そういうものは、ものすごく大切なんだよね。舞台から見る景色っていうのがある。それを知っているのと、知っていないのでは全然違う。その経験をさせてあげられたことはすごいよかった。ただ、後は本人次第だからね。そのチャンスをどう生かすか」
男闘呼組は来年8月まで期間限定だが、期間を区切った理由は何か。
「来年、結成35年を迎える。そのためのライブであり、それが最初の約束だったから。その先のことはまだ誰にもわからないし、僕らも決めてないし、とにかくやってみようと思っている。今の時代の最高のプロデューサーと組んでいて、信頼している。僕らはプレーヤーとしてやっていくだけかな」。高橋は「男闘呼組」としての新たなDAYBREAK(夜明け)を走り抜けていく。
□高橋和也(たかはし・かずや)1969年5月20日生まれ。東京都出身。88年、男闘呼組として音楽デビュー。93年に活動休止したが、22~23年8月までの期間限定で再結成し、話題を呼んでいる。近年の主な映画出演作に「そこのみにて光輝く」(14年)、「あゝ、荒野 前篇・後篇」(17年)、「新聞記者」(19年)。今年は「今はちょっと、ついてないだけ」(22年)、「破戒」(22年)が公開された。