岡田有希子さん命日に改めて思う「こんな完璧なアイドルには出会ったことがない」
トップアイドルだった岡田有希子さん(享年18)が自ら命を絶ってから34年。今もその存在はファンの胸に生き続けている。命日の4月8日には、愛知県の墓石に全国からファンが集まり、故人を偲んでいる。これまで数多くのアイドルを見てきた“プロアイドルヲタク"のブレーメン大島氏もその1人だ。だが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大による影響から行くことを断念。変わらない熱すぎる思いを特別寄稿した。
“36年来のファン"ブレーメン大島氏、今年は新型コロナで墓参りを断念
トップアイドルだった岡田有希子さん(享年18)が自ら命を絶ってから34年。今もその存在はファンの胸に生き続けている。命日の4月8日には、愛知県の墓石に全国からファンが集まり、故人を偲んでいる。これまで数多くのアイドルを見てきた“プロアイドルヲタク”のブレーメン大島氏もその1人だ。だが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大による影響から行くことを断念。変わらない熱すぎる思いを特別寄稿した。
岡田有希子さんは今もファンの胸に生き続けている
1984年4月21日に「ファーストデイト」でデビューしたユッコこと岡田有希子。彼女はこれまでのアイドルのようにキャピキャピするところもなく、どちらかというと大人しいタイプだった。しかも美少女であり歌も上手い。私見になるが、こんな完璧なアイドルにはこれまで出会ったことがなかった。
ユッコとの出会いは、デビューして数週間後、あるデパートの屋上で行われたデビュー記念キャンペーンである。その時に初めて生歌を聴いて、彼女の虜になってしまった。イベント終了後に初めて会話をすることになるのだが、あまりにも緊張しすぎて、何を話したのかまったく覚えていなかった。確実に言えるのは、ここから私とユッコの物語がスタートしたことだ。
この日をきっかけに、彼女の出演する現場に頻繁に行くようになり、次第に顔見知りになって、いつも笑顔で話しかけてくれるユッコがそこにいた。この瞬間が本当に幸せな時間だった。しかし、楽しい時間は2年と続かなかった。
1986年4月8日、ユッコは所属事務所の屋上から飛び降り自殺を図り、帰らぬ人になってしまった。この訃報を知ったのは、当時のアルバイト先だった。母親が「身内の不幸があった」と気の利いた理由を言ってくれ、アルバイトを早退し、現場に向かった。私が着くとすでに多くのファンが集まり、ユッコの曲がずっと流れていた。この歌声の主がこの世に存在しないと実感すると、涙が止まらなくなってしまった。
実はこの数日前にユッコの出待ちをするためにTBSに行った。その時はいつもより落ち着いた感じで「今日もありがとうございます。これからも私のことをずっと応援してください」と言ってくれた。もちろん自殺する予兆なんてなかった。
あれから34年の月日が経った。今でもユッコと過ごした日々は最高の思い出であり宝物である。その思い出をかみしめながら、毎年のように命日の4月8日には、愛知県にあるユッコのお墓に会いに行っていました。
今年も行く予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大のため、現地に行くのを直前で断念することになってしまった。次に会える日はいつかわからないが、必ず会いに行きます。ユッコはいつまでも自分にとってかけがえのない存在なので、これからもユッコと私の物語は終わることなく永遠に続くことだろう。