行列ラーメン店作った元お笑い芸人、転機は相方の自死 刺さった罵声「お前が救えた命だぞ」
元お笑い芸人で株式会社夢を語れ代表の西岡津世志さん(43)は、ラーメン店を国内外に23店舗を展開する実業家だ。開店する店舗がすべて行列店となり、米国ボストンではハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生が殺到。さらに、スタッフや客に夢を語ってもらうというユニークな試みでも注目を集めている。圧倒的な熱量で成功を収めてきたが、一方で、相方の自死という悲劇を乗り越えている。西岡さんに半生を聞いた。
スタッフや客が「夢を語れる」ラーメン店 誕生の理由
元お笑い芸人で株式会社夢を語れ代表の西岡津世志さん(43)は、ラーメン店を国内外に23店舗を展開する実業家だ。開店する店舗がすべて行列店となり、米国ボストンではハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生が殺到。さらに、スタッフや客に夢を語ってもらうというユニークな試みでも注目を集めている。圧倒的な熱量で成功を収めてきたが、一方で、相方の自死という悲劇を乗り越えている。西岡さんに半生を聞いた。(取材・文=水沼一夫)
チリンチリン。店内に呼び鈴の音が響くと、あの合図だ。「夢を語る店なので、夢を語っていいですか」。西岡さんの乾いた声が響く。語られる夢は、決して大言壮語ではない。「応援の意味を込めてグッジョブと言ってください」。西岡さんが夢を語ると、「グッジョブ!」の声が返ってきた。
佐賀・鳥栖の「夢を語れ」総本店には、客が夢を書いたふせんが壁一面にずらりと貼られている。「夢のレベルを高くしないことを意識しているんですよ」。どれもこれも身近な小さな夢が中心だ。「彼女が欲しい、復縁したい、ディズニーランドに行きたいとか、あと佐賀競馬が近いので万馬券を当てるとか、有名になるとかもありますね」
もちろん、夢を語るのはそれぞれ。語らなくてもラーメンは食べられる。
夢を語るという試みはボストンの店舗からスタートした。名門大学の学生たちがラーメンを食べた後に、「I have a dream」の札を掲げて夢を語り、「グッジョブ!」の声をもらうのがお約束になっている。独自の慣習は客の7~8割に浸透し、市内屈指の行列店として人気を集めている。
ラーメン界の常識を打破する、ユニークな発想はどこから生まれてきたのか。
それには、西岡さんの半生を振り返らなければならない。
西岡さんは、滋賀に生まれ、高校卒業後にお笑い芸人の道に進んだ。
「単純に芸人という生き方に対して、楽しいなと思いました。文化祭で喜劇をやったり、普段からクラスでも人を笑わせるのが好きでした。職業を考えたときに人を笑わせる仕事の方が圧倒的に楽しいやろって自分では思っていました」
テレビでは「進め!電波少年」が人気を集めた時代で、猿岩石の姿が目に焼きついた。「あんな感じで芸人をやってテレビに出たら楽しいな、僕でもいけんちゃうかな」と将来の道を描いた。
上京後、トリオを組んで吉本興業などのお笑いの舞台に上がった。ところが、人生の転機はすぐにやってきた。西岡さんは二郎系ラーメンと出会ってその魅力にとりつかれる。芸人として花が開く前に、店長を任せられ、店全体を切り盛りするなど、ラーメン業界にどっぷりとつかっていった。
そんな矢先のある日、トリオを組んでいた相方の1人がラーメンを食べに訪れた。食後、相方を自宅に泊め、時間を忘れて語り合った。「もう芸もやめて家を引っ越す。沖縄に行くか大阪に行くかで悩んでるみたいなことは言ってたんですよ。やっぱり沖縄にするわ、沖縄に行くためのフェリー乗るわと言って、朝、家から出て行きました」
そして、相方との別れは突然やってきた。
「その日の夜に、名古屋のサービスエリアで首を吊って亡くなっていました」
相方が携帯電話の充電コードを自宅に忘れていることに気づき、連絡を入れていた。「その時は『いや向こうでまた手に入れるから捨てといて』みたいなことを言われて」。変わった様子はなかったが、もう1人の相方の留守電には本人や西岡さんへの感謝の言葉が残されていた。
異変を知り、すぐに探し回ったが、つながらない。「本人に連絡がつかず、次の日の朝に警察から(訃報の)連絡が来たという流れです」
「お前が救えた命だぞ」 もがいてたどり着いた「夢を語れ」
相方は10個年上で、西岡さんは兄のように慕っていた。現実を受け止められなかった。
「人が自殺するというのは僕の中に入っていなくて……。世の中へこんでいる人なんていっぱいいるじゃないですか。へこんでいてもその人が死ぬというまではイコールになっていなかったんです。それを経験してから、元気がない人を見ると、全員死ぬんちゃうかって思うようにイコールになったんですよ。イコールというか死んでしまうんちゃうかなって。友達でも悩み相談とかで家に来てくれたりとかすると、こいつ死ぬんちゃうかなって思ったりとかして、『もう家帰るな』と言ってその日泊まってもらったり。元気ないだけで、なんか怖くなるんですよね」
ショックを受けただけでなく、罵倒に近い言葉も浴びせられた。
「最後に会っていたのが僕なので僕が止めてさえすれば彼が死ななくてすんだのにってボロカス言ってくる人もいました。お前が救えた命だぞって。ほんまにお前が殺したぐらいのことを言われて……」
相方が西岡さんに救いを求めていたのかは分からない。しかし、状況的に否定をすることもできなかった。なぜ、亡くなる前日にラーメンを食べに来たのか。そして、家に泊まっていったのか。「確かになって思う節もあるわけじゃないすか」。想像力を懸命に働かせ、時計の針を巻き戻しても、結論は出なかった。
ラーメンを作りながら、今後をどう生きていくか、西岡さんは考えた。そして、一つの答えにたどりついた。「相方が亡くなったときいっぱいいっぱい勉強して、自殺について調べたら、若者の自殺率は日本が世界でトップだったんですよ。しかも自殺の原因が『将来に希望が持てない』だった。まさにって思ったんです。このままいったら、日本は医療技術が進化して寿命が延びても、自ら命を絶つような人たちがどんどん増えていく。
そこから、やっぱり将来に希望が持てるような生き方する人間を増やさないといけないって思いました。悩んでいる人と比較したときに、自分にはやりたいことがあり、ワクワクするような毎日がある。それってやっぱり夢を追いかけてるからなんですよね。まさに夢が今を楽しくさせてくれる道具だということに気づいて、みんなで持ってもらいたいという願いを込めて、『夢を語れ』というお店をやっている流れです」
相方に今、伝えたい言葉 夢は「愛」と同じくらいレベルが高い
試行錯誤は続けているものの、国内店舗のコンセプトは共通している。コロナ禍の影響もあり、夢をふせんに書いてもらう形で、普及活動を続けている。
「最初はやっぱり、恥ずかしかったです。看板に『夢を語れ』という名前を掲げるのは。夢というワードって、愛という言葉と同じぐらいレベルが高くて、使いこなせる人間力がないと恥ずかしくて使えないですよね。でも、そういう意味では、そこも含めて上げていきたい。夢という言葉を、恥ずかしい言葉ではなくて、誰でも簡単に使えるレベルにみんななって欲しいなと思っています」
相方の死は忘れることはできない。原因も分からないままだ。しかし、今なら確信を持って言えることがある。
「当時もし、あのラーメンを食べに来てくれたあの店が、相方が夢を語れるようなお店だったとしたら。毎週のように来てくれて夢を語り続けていたとしたら、ああはならなかったって僕は思っています。だから今こんな見せているんですよ。相方には申し訳ないです。だけど、逆にこういうお店が増えることによって、救われる命がこれからどんどん増えるんだということに対して、相方には『ありがとう』という言葉をすごく伝えたいです」
□西岡津世志(にしおか・つよし)1979年9月8日、滋賀・近江八幡市出身。高校卒業後、東京でお笑い芸人を目指しながらラーメン店で修業。2006年、独立して京都一乗寺に「ラーメン荘 夢を語れ」を創業。12年、ボストンで「Yume Wo Katare」を開業する。18年に帰国し、国内外に23店舗を展開する。妻、子ども2人の4人家族。