古巣の全日本プロレスに乗り込む大仁田厚 目論むのはアジアタッグ王座奪還…「邪道」の真意とは?
日本プロレス史上、一番の歴史と伝統を誇るアジアタッグ王座。1955年11月に、日本プロレスでアジア王者を決するアジア選手権が争われ、タッグ部門でキングコング、タイガー・ジョキンダー組が初代王者に認定されている。
渕正信に呼びかけ「俺ともう一度、アジアタッグ獲りに行きましょう!」
日本プロレス史上、一番の歴史と伝統を誇るアジアタッグ王座。1955年11月に、日本プロレスでアジア王者を決するアジア選手権が争われ、タッグ部門でキングコング、タイガー・ジョキンダー組が初代王者に認定されている。
以来、67年。現在は全日本プロレスが管理し、佐藤光留、田村男児組が第114代王者として君臨している。
長い歴史の中で、グレート小鹿と大熊元司の極道コンビの代名詞となった時期もあった。2人の息の合った反則プレーは、大型選手が揃っていた全日本マットで独特の存在感を示し、人気を集めていた。
新日本プロレスの木戸修と西村修の「修コンビ」が挑戦するプランが浮上したことがある。最終的には流れてしまったが、いぶし銀とテクニシャンの修コンビが、アジアタッグ王座のベルトを巻いていたら、と思ってしまう。
日本プロレスから全日本プロレスにベルトは移管され、他のタッグタイトルも誕生したが、力道山さんやジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんも腰に巻き、多くの名勝負を生んできたアジアタッグ王座の歴史と伝統の重みは変わらない。
その日本プロレス史や「王道」の象徴のひとつに「邪道」が触手を伸ばしてきた。大仁田厚が馬場さんの故郷、新潟県三条市に凱旋した全日本プロレスの大会で、旗揚げ初期のころ、ハル薗田さんとともに若手三羽烏と呼ばれた渕正信に「俺たちは第100代アジアタッグチャンピオンです。俺ともう一度、アジアタッグ獲りに行きましょう!」と呼びかけたのだ。
握手に応じた渕だが、この日も毒霧を発射した大仁田の邪道スタイルには否定的だ。全日本一筋の渕は、正統派王道スタイルへの思い入れは誰よりも強い。全日本50周年を記念する大会、しかも馬場さんが生まれ育った地での大仁田の“暴挙”に、渕の危惧は強まるばかりだろう。
大仁田も渕の怒りを感じ取っていた。「今日はすいませんでした。あんまり余計なことすると、渕さんに怒られるから」と反省の弁。ただし「今度は電流爆破を見に来てください」とアピールすることも忘れなかった。
全日本一筋48年の渕に対して、大仁田は全日本を引退後、FMWを設立。邪道スタイルを確立したが、引退、復帰を繰り返している。2人のレスラー人生は対照的だ。
2人は2016年11月、第100代アジアタッグ王座を獲得している。大仁田は、今度は邪道スタイル「電流爆破マッチ」でのベルト奪取を目論んでいるのだ。
渕にしてみれば、大仁田とのタッグ挑戦には異存はなくても、毒霧も拒否しているのに、王道マットに電流爆破を持ち込まれるのは、さらに抵抗があるだろう。渕個人の考えに加えて、全日本としてもすんなりOKとはいかないのではないか。通常の試合ならともかく、タイトルマッチの権威へのこだわりは強い。
とはいえ、51年目に入った全日本は「新時代」を迎えている。先頭に立つ3冠王者・宮原健斗は「新しい時代を俺が引っ張っていく」と表明しており、チャレンジに積極的な姿勢を打ち出している。
実は16年に大仁田と渕がアジアタッグ王者に輝いたときも、電流爆破バットが用意されていた。大仁田が電流爆破スイッチを押したものの、渕がストップ。爆破は一度もなく、いわば王道スタイルの攻防の末、2人が勝利したのだった。
大仁田の頭から6年前の“未遂”が離れなかったのは想像に難くない。古巣・全日本LOVEでは大仁田も負けていないかもしれない。
100代王座奪取の日、大仁田は薗田さんのテーマ曲を前奏にして入場し、薗田さんの遺影を掲げている。渕と大仁田は、薗田さんの遺影と一緒にベルト獲得の記念撮影に臨み、大仁田は「俺たちには歴史がある。お前らには分からないだろうよ。全日本プロレスに入って、6畳一間で、3人で寝ていた。薗田一治が、そして渕正信が永遠でありますように! 今日はお邪魔しました! ありがとよ!」と叫んでいた。
かつては新日本プロレスと並んでいた全日本だが、今は水をあけられてしまった。邪道なりの古巣へのエールが「電流爆破」でのタイトルマッチなのかも知れない。
王道と邪道。電流爆破という過激な「最後の切り札」を提示した大仁田。すれ違うのか交わるのか。果たして、どうなるものか。