リングアナ、レフェリーから裏方まで マット界の“何でも屋”パンチ田原のプロレス人生

マット界の“スーパー萬屋(よろずや)”パンチ田原が「受け身以外、すべてやります」とますます意気盛んだ。

パンチ田原が手にしているのはチケット仕様の名刺【写真:柴田惣一】
パンチ田原が手にしているのはチケット仕様の名刺【写真:柴田惣一】

選手からの信頼も絶大「パンチさんの顔を見ると、今日は試合に集中できると思ってホッとする」

 マット界の“スーパー萬屋(よろずや)”パンチ田原が「受け身以外、すべてやります」とますます意気盛んだ。

「リングアナウンサー・デビュー30周年記念興行」(9月20日、東京・新宿フェイス)を大成功させたパンチ。集まった選手、レフェリー、リングアナ……その顔の広さを改めて実感させられた。

 リングアナ、レフェリー、リング設営、大会運営、トラック運転、トラブル処理……リングに登場し裏方もこなす。マット界に関わるありとあらゆる仕事をこなしている。文字通り、ファイト以外はなんでもやってのけるのだ。しかもあらゆる場面で、こんなに頼りになる男はいない。

 多くの選手が「パンチさんの顔を見ると、今日は試合に集中できると思ってホッとする」と口にしている。実際にリングの到着が遅れている、チケットの席番がダブっている……様々な緊急事態にも臨機応変に対応し解決している。選手、団体、関係者、ファンの信頼も厚い。

「多いときは年間300試合以上、少ない年でも200試合に関わってきた。加えてイベントもある。大概のトラブルは経験してきた。どうしたらいいのか、慌てることもなくなった」と心強い。

「月に10試合は生観戦していた」というプロレス少年が、業界入りしたのは全日本プロレスだった。19歳で営業部入り。故・仲田龍さんにパンチパーマを指さされ「お前はパンチだな」とニックネームをつけられた。

「この髪型、手入れが簡単だから。一度、これにしたらもう変えられない」と苦笑い。ちなみに先の9・20決戦のタイトルは「仁義ある戦い」である。

 全日本女子プロレスの憧れの人だった氏家清春リングアナから声を掛けられ、全女でリングアナデビューしたのが21歳の時。リングネームはすでに「パンチ田原」と決まっていた。

 思い出の初コールだった「前川久美子VS長谷川智香子」を9・20決戦の第1試合で再現させた。「もう引退している人に声をかけ、名字も変わっているのに当時の名前で出てもらった」と嬉しそうに振り返る。

 多くの選手、レフェリー、リングアナに集結してもらった。超満員札止めになったが、普通ならファイトマネーで大赤字になるはず。ところが「たくさんの人が、お前のためなら、と言ってくれた」と友情価格で駆けつけてくれた。「黒字だった」と感謝しきり。

 今では奥様、息子さんと2人の娘さんにもサポートされている。パンチ一家総出のときもあるという。「女房と別々の会場にいることもある」と苦笑い。ファミリーで充実した日々を過ごしている。

 レフェリーとしてはデビュー22年。時にはリングアナとレフェリーを兼ねるときもある。レフェリー姿でマイクを握り「レフェリー、俺」とコールしたことも3回ほどある。

 日本全国を旅してきたが、忙しい仕事の合間に時間を見つけ出し、大好きな美術館巡りをしている。「この仕事をしてきて、良かった」とまたまたニコニコ。

 プロレスグッズのコレクターでもある。自宅にはプロレスグッズが所狭しとたくさんあるが「UWF道場にかかっていた看板もある」と高笑い。

「30周年も通過点。まだまだ頑張りたい」とキッパリ。何より楽しそうにイキイキしている。人脈も人望もある、日本一頼りになる男・パンチ田原の萬屋ライフはこれからも続く。

次のページへ (2/2) 【写真】リングアナウンサーとして30周年のパンチ田原
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