原田知世、アイドルからの脱却と悩んだ20代 救ってくれた特別な人「本当の楽しさ知った」

今年デビューから40周年を迎えた原田知世がオールタイムベスト「原田知世のうたと音楽~デビュー40周年記念ベスト・アルバム」をリリースした。代表曲「時をかける少女」をはじめ、数々の主演作品の主題歌を歌った10代、アイドル的なイメージから脱却して本格的なシンガーへと歩み始めた20代、さらに唯一無二の魅力的なアーティストへと成長していった現在、彼女のターニングポイントには必ず大切なプロデューサーたちとの出会いがあった。そんな“原田知世の40年”を前編、後編の2回にわたって紹介する。

原田知世【写真:荒川祐史、ヘアメイク&スタイリング:藤川智美(Figue)】
原田知世【写真:荒川祐史、ヘアメイク&スタイリング:藤川智美(Figue)】

私の声の本質を見抜いてくれた3人のプロデューサー

 今年デビューから40周年を迎えた原田知世がオールタイムベスト「原田知世のうたと音楽~デビュー40周年記念ベスト・アルバム」をリリースした。代表曲「時をかける少女」をはじめ、数々の主演作品の主題歌を歌った10代、アイドル的なイメージから脱却して本格的なシンガーへと歩み始めた20代、さらに唯一無二の魅力的なアーティストへと成長していった現在、彼女のターニングポイントには必ず大切なプロデューサーたちとの出会いがあった。そんな“原田知世の40年”を前編、後編の2回にわたって紹介する。(取材・文=福嶋剛)

――原田さんは子どもの頃、どんな音楽を聴いていましたか?

「いつもテレビから流れてくる音楽を聴いていました。よく歌番組を見ながら歌謡曲も演歌もロックも口ずさんでいましたね。その中でもお気に入りだったのが原田真二さんの『キャンディー』や『タイム・トラベル』、久保田早紀さんの『異邦人』でした」

――この世界に入るきっかけはオーディションだったそうですね。

「中学3年生の時にファンだった真田広之さんの相手役募集のオーディションがあって『真田さんに会ってみたい!』ただそれだけで応募しました(笑)」

――女優になりたい、歌手になりたいといった願望もあったのでしょうか?

「まったく考えていませんでした。だからオーディションに合格した時は、もちろんうれしかったのですが、同じぐらい戸惑いもありました」

――いきなりデビュー作で映画の主役をつかみ、歌手としても注目される存在になりました。

「まずはドラマ版『セーラー服と機関銃』に出演させてもらい、『来年は映画デビューだよ』とすでに1年以上先の予定が決まっていて、なんの疑問も持たずにいただいたお仕事を1つ1つ一生懸命に取り組みました。『時をかける少女』をはじめ、当時出演した素晴らしい作品や歌を通じて“原田知世”というパブリックイメージが出来上がり、10代の頃の私はエンターテインメントを作ってきたたくさんの大人たちの期待を感じて頑張っていたんだなって、今回のベスト盤の初期楽曲を聴きながらそんな当時の気持ちがよみがえってきました」

――3枚目のシングル「時をかける少女」(1983年)がヒットして、子どもの頃にテレビの前で一緒に歌っていた歌番組に出演した時の心境は?

「『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』といったテレビの世界にまさか自分がいるなんて信じられなくて(笑)。緊張しながらベストテンのミラーゲートをくぐると『これがテレビで見ていたところなんだ』って思わず感動してしまいました(笑)。歌い終わったら次は誰が出てくるんだろうってワクワクしながら座っていて、翌日、学校に行くとそんなことを友達に話していたのを覚えています」

――その中で原田さんの最初のターニングポイントは?

「20歳の頃です。当時、出演した映画『私をスキーに連れてって』は大きなターニングポイントになりました。そして、それをきっかけに『これから自分はどう歩んでいけばいいのか』と考え始めたのも20代でした。歌手としても『演じることとは違う、等身大の自分をもっと表現したい』、そう思うようになったのもこの頃からですね。でも『じゃあ私はどんなシンガーを目指したらいいの?』その答えがなかなか見つからなくて探していました」

――そんな時にミュージシャンで音楽プロデューサーの鈴木慶一さんとの出会いが、のちのシンガーとして大きなきっかけになったそうですね?

「そうです。慶一さんに最初にお会いした時、私の好きな言葉や嫌いな言葉のヒアリングから始まり、徹底的に私と向き合ってリサーチしてくださいました。そこから導かれた歌詞やメロディーという曲のパーツを1つ1つ一緒に組み立てていく感覚というか。これまでガイドボーカルの入った曲に歌を入れるだけの作業ばかりしていた私は、『こうやって時間をかけて作っていくものなんだ』って本当の意味で音楽を作る楽しさを知りました」

――今回のオールタイムベストの制作を担当されたユニバーサルミュージックのディレクターさんに、30曲の中で特に象徴的な1曲をお聞きしたところ、「さよならを言いに」(1992年)を上げていただきました。

「ここ数年ずっと同じディレクターさんにご担当いただいているのですが、さすが私を分かってくださっていますね(笑)。まさに慶一さんと作り上げた中でもシンガーとして成長できた1曲で、私の声という楽器をどのように鳴らすか、その楽器に合った音楽をどう選んでいくか、そんな今までにないアプローチで作り上げた曲なんです。実は今回ベスト盤が完成して久しぶりにデビュー曲の『悲しいくらいほんとの話』(82年)を聴いてみたのですが、ちょっと驚いたことがあって」

――どんなことでしょう?

「デビュー曲と『さよならを言いに』の歌い方がすごく似ていて。あの頃、何も身に付けていない状態でシンプルに伸びやかに歌ってみたデビュー曲と自分探しを始めた20代で歌ったこの曲は原点という意味でつながっていたんですね。そんなことに最近ようやく気が付いたのですが、慶一さんはすでにあの頃、私の声の本質を見抜いていらしたのだと思います」

――慶一さんとの共同作業がシンガーとしての原田知世を作っていったと?

「そう言っても過言ではありません。今でも慶一さんは私のライブに足を運んでくださり、いつも感想を聞かせてくれるんです。芸能という世界に入って40年がたちましたが、音楽を通して精神的に一番いい時期を長く過ごすことができているのは、そんな私の根っこの部分を作ってくださった慶一さんのおかげです。私にとってはたとえようのない特別な存在ですね」

トーレ・ヨハンソンとの出会いを語る原田知世【写真:荒川祐史、ヘアメイク&スタイリング:藤川智美(Figue)】
トーレ・ヨハンソンとの出会いを語る原田知世【写真:荒川祐史、ヘアメイク&スタイリング:藤川智美(Figue)】

トーレ・ヨハンソンとの出会い

――そして96年にリリースした19枚目のシングル「100 LOVE-LETTERS」は、慶一さんが作詞を担当し、カーディガンズのプロデュースで知られるスウェーデンのトーレ・ヨハンソンさんがプロデュースを担当されました。

「トーレさんとのレコーディングもまたターニングポイントの1つになりました。この曲ははじめに慶一さんと東京で作業を行い、そのあと一緒にスウェーデンにある有名なスタジオ『タンバリン・スタジオ』に向かいました」

――レコーディングはいかがでしたか?

「タンバリン・スタジオは、スタジオ全体が1つの生活空間になっていて、ミュージシャンもエンジニアもみんなスタッフとして事務の仕事もするしご飯も作る。これまで海外でのレコーディングとはまったく違う手作り感いっぱいのアットホームなレコーディングでした。『今日はここまで』と仕事を切り上げるとスタジオに置いてあったお酒をみんなで飲みながら談笑したり、“生活と仕事と音楽”この3つがものすごく密接にそれも自然につながっているところがとても新鮮で『なんて素敵な音楽との向き合い方なんだろう!』って刺激を受けました。レコーディングもまさにマジックで、自分の声が今までとは違って聴こえましたし、全体のサウンドもタンバリン・スタジオならではの温かみのあるものに仕上げていただいて本当に感動しました。今回あらためて聴き直しても、まったく音が色あせていないんです。これは機材だけじゃないトーレさんの感性や技術力の高さ、そしてあのスタジオだからこそ出せた音だったんだなって思いました」

――『ロマンス』(97年)のミュージックビデオ(=MV)もスウェーデンで撮影されたそうですね?

「現地でのプロモーションビデオの撮影も刺激的で楽しかったです。『ロマンス』のMVの撮影スタッフはディレクターとアシスタントの2人だけでした」

――それは驚きですね?

「街の人たちに自転車を押してもらったりして助けてもらいました。今でこそスマホ1台でMVも映画も撮れる時代ですが、あの頃でもやろうと思ったらシンプルにできるんだって、そこに気が付きました」

――20代で出会った鈴木慶一さん、そしてトーレ・ヨハンソンさんという名プロデューサーによって原田さんはアーティストとして大きく成長されたんですね。

「はい。そのあとに出会うプロデューサーの伊藤ゴローさんもそうです。みなさん私のパブリックイメージに関係なく、私の声をどう生かすかというところに立って素晴らしい音楽を作ってくださった3人です。私はそんなプロデューサーの方々と出会えたことで音楽の面白さやシンガーとしての自分といつも向き合うことができていると感じています。そして今度はボーカリストとしてさらに面白いことをやってみたい、そう思い始めました」(続く)

□原田知世 1983年、オーディションで5万7千人の中から選ばれ、映画「時をかける少女」でスクリーンデビュー。近年は映画「しあわせのパン」、「あいあい傘」、「星の子」やNHK連続テレビ小説「半分、青い。」、日本テレビ系日曜ドラマ「あなたの番です」、テレビ東京 ドラマ24「スナック キズツキ」など数々の話題作に出演。歌手としてもデビュー当時からコンスタントにアルバムを発表。1990年代は、鈴木慶一、トーレ・ヨハンソンを迎えてのアルバム制作や、オール・スウェディッシュ・メンバーとの国内ツアーなどで新たなリスナーを獲得。近年はプロデューサーに伊藤ゴローを迎え、充実したソロ・アルバムをコンスタントに発表しているほか、高橋幸宏らと結成したバンドpupa(ピューパ)にも在籍。そのほか、ドキュメンタリー番組等のナレーションを担当するなど幅広く活動している。2022年10月5日オールタイムベスト「原田知世のうたと音楽~デビュー40周年記念ベスト・アルバム」発売。10月16日40周年記念コンサートを東京国際フォーラムホールAで開催。

原田知世公式HP:http://haradatomoyo.com/
Twitter:https://twitter.com/o3a3
Instagram:https://www.instagram.com/o3a3_haratomo/
ユニバーサルミュージック:https://www.universal-music.co.jp/harada-tomoyo/

【インタビュー衣装】
「JOHNBULL」
千鳥チェックノーカラージャケット\28,600
千鳥チェックドッグイヤーパンツ\18,700
「petite robe noire」
シルバーネックレス\93,500
ロングシルバーネックレス\39,600
プーフイヤリング\17,600
ストーン付きリング\13,200
シルバーリング2点共に\9,900

【コンサート情報】
「原田知世 40th Anniversary Special Concert “fruitful days”」
日程:2022年10月16日(日) 午後4時開場 / 午後5時開演
会場:東京国際フォーラムホールA
出演:原田知世 スペシャルゲスト:大貫妙子、鈴木慶一、高野寛、土岐麻子
指定席 \8,800(税込)
※SS席・S席はSOLD OUT
※未就学児童入場不可

【リリース情報】
「原田知世のうたと音楽~デビュー40周年記念ベスト・アルバム」
発売中
限定盤(2SHM-CD+DVD): UCCJ-9240 ¥5,500(税込)
通常盤(2SHM-CD): UCCJ-2212/3 ¥3,850(税込)

「ToMoYo covers~原田知世オフィシャル・カバー・アルバム」
2022年11月2日(水)発売
SHM-CD: UCCJ-2214 ¥3,300(税込)
予約:https://Tomoyo-Harada.lnk.to/ToMoYocoversPR

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