【映画とプロレス #9】アーノルド・シュワルツェネッガーがブルーノ・サンマルチノを語るドキュメンタリー映画があった

"MSGの帝王"ブルーノ・サンマルチノ/(C)2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.
"MSGの帝王"ブルーノ・サンマルチノ/(C)2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.

かつて“マジソン・スクエア・ガーデンの帝王”と呼ばれた男

 63年4月に発足したWWWF(WWEの前身)で才能を認められると、同年5月17日、ニューヨークのマジソンスクエアガーデン(MSG)にてバディ・ロジャースを秒殺で破り、第2代WWWF世界ヘビー級王者となった。71年1月、イワン・コロフにベルト明け渡すも、73年12月10日に再びMSGで王座奪回。77年4月、ビリー・グラハムに敗れるまで、通算11年間保持するという長期政権を2度にわたり築いたのである。「MSGの帝王」と呼ばれたのは当時の本拠地MSGでメインを張り続け、実に187回というソールドアウト記録を樹立したから。ちなみに、「人間発電所」というのは日本でつけられたキャッチフレーズ。「Powerhouse」というニックネームからそう言われるようになったのだが、これはパワーファイターを指すプロレス用語。スタイルを分類する際、海外ではいまでも「Powerhouse」(パワーハウス)という言葉が用いられ、一方、空中戦が得意な選手は近年「High flyer」(ハイフライヤー)と呼ばれている。

 サンマルチノの初来日は67年3月の日本プロレスで、ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に2度挑戦した。翌年にはBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。72年には全日本プロレスの「旗揚げシリーズ」に参戦している。その後も全日本に来日し、81年10月に「創立10周年記念シリーズ」に登場、87年に引退した。

 現アメリカ大統領ドナルド・トランプがWWE殿堂入りした13年。サンマルチノもビンス・マクマホンとの恩讐を超えて式典にやってきた。縁の深いMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)におけるセレモニーのハイライトは、なんといってもシュワちゃんが呼び込んだサンマルチノのスピーチだった。シュワちゃんは「彼の伝記映画が製作されるときは、私が演じたいと思います」と立候補。映画にもこの模様はしっかり収録されている。だがその前にドキュメンタリー映画が作られることになるのだが、サンマルチノは18年4月18日に死去、82年の生涯に幕を閉じた。映画では訃報の数週間前までインタビューをしていたという。96分の作品内にはピッツバーグの自宅や子どもの頃に住んでいた故郷ピッツォフェッラートの家も収められているという。

 映画「BRUNO SAMMARTINO」は昨年10月29日にアメリカでお披露目され、11月29日から12月5日まで、ニューヨークのシネマビレッジとロサンゼルス、サンタモニカのモニカ・フィルムセンターで劇場公開された。貴重な映像の連続だけに、ぜひとも日本公開を実現させてもらいたい。

 ちなみに、サンマルチノには、あの「ゴッドファーザー」(72年)にキャスティングされる計画があったが、実現ならず。サンマルチノが考えられていた役には、おなじイタリア系のプロレスラー、レニー・モンタナが配役されたのだった。
(文中敬称略)

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