【映画とプロレス #9】アーノルド・シュワルツェネッガーがブルーノ・サンマルチノを語るドキュメンタリー映画があった
WWEを中心にプロレス界に多大な貢献をした人物の栄誉を讃え表彰する「WWEホール・オブ・フェーム」。今年は新型コロナウイルスの世界的感染拡大の影響で式典が中止となってしまったが、バティスタ、JBL、ブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボーイ・スミス)、nWo(ハルク・ホーガン&ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン)、ベラ・ツインズ(ニッキー&ブリー)、さらに日本から獣神サンダー・ライガーがインダクティー(受賞者)に選ばれ、93年のアンドレ・ザ・ジャイアントから始まるWWE殿堂者の仲間入りを果たした。
2019年製作のドキュメンタリー映画「BRUNO SAMMARTINO」とは
WWEを中心にプロレス界に多大な貢献をした人物の栄誉を讃え表彰する「WWEホール・オブ・フェーム」。今年は新型コロナウイルスの世界的感染拡大の影響で式典が中止となってしまったが、バティスタ、JBL、ブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボーイ・スミス)、nWo(ハルク・ホーガン&ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ショーン・ウォルトマン)、ベラ・ツインズ(ニッキー&ブリー)、さらに日本から獣神サンダー・ライガーがインダクティー(受賞者)に選ばれ、93年のアンドレ・ザ・ジャイアントから始まるWWE殿堂者の仲間入りを果たした。
昨年の「レッスルマニア35」でプロレスを引退し、映画界に完全移籍したデイヴ・バティスタが殿堂に名前を刻んだ2020年。ハリウッドでの今後の活躍が期待されると共に、異業種からプロレス界に参戦し殿堂入りする逆パターンも。その1人として挙げられるのが、元カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーだ。日本でもシュワちゃんの愛称で親しまれる映画界のトップアクションスターは、15年にWWE殿堂入り。その2年前となる13年にはインダクター(プレゼンター)としてブルーノ・サンマルチノを紹介した。シュワちゃんはオーストリア、サンマルチノはイタリアからの移民。共に英語が話せない中で異国へ渡り、時には差別やイジメと戦いながら、不屈の闘志でスーパースターの地位を獲得した人物だ。
「最初に見た時からこの人はスターの中のスターだと思った」というのはサンマルチノに対するシュワちゃんの印象だ。ボディビルの大会でサンマルチノと知り合ったシュワちゃんは、19年製作のドキュメンタリー映画「BRUNO SAMMARTINO」(オリジナルタイトル「BRUNO SAMMARTINO:LA MIA MAMA」)に出演。ある意味作品の“主役”として、プロレス界の大スターを語ってくれる。
今作にはジョン・シナ、ザ・ミズ、カート・アングル、「首折り事件」で知られるスタン・ハンセンが登場。また、キャロル夫人をはじめ家族、関係者も人間としての“人間発電所”を証言する。本人へのインタビューやリング内外の映像のほか、貴重なホームビデオも提供されており、オリジナルタイトルにもなった“LA MIA MAMA(マイ・マザー)”、エミリアさんの姿も映し出されるのだ。
ブルーノ・サンマルチノ(本名ブルーノ・ラオパルド・フランセツ・サンマルチノ)は35年10月6日、イタリアのピッツォフェッラートに生まれた。現在でも人口1000人ほどという山岳地帯の小さな村だ。第2次世界大戦中ナチの迫害から逃れ、終戦後の50年、家族とともに15歳でアメリカに移り住んだ。山中に隠れていたというローティーン時代は体重が75ポンド(約35キロ)しかなかったという。
移住後も身体は小さく、ペンシルベニア州ピッツバーグでの新生活は学校でのイジメから始まった。その後、陸軍に入隊し、建設現場などでも働いた。そして24歳の59年10月にプロレスデビュー。身長は182センチ、体重は100キロを超えた。