円楽さんが語っていた“人たらしの極意” 「これって生理的なもんですよ」とさらり
落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名、会泰通=あい・やすみち)さん。9月30日、肺がんで死去した。72歳という、落語家としてはまだまだこれからの年齢だった。
演芸評論家・渡邉寧久氏が三遊亭円楽さんを追悼 その人柄、魅力を明かす
希代の人たらしだった。
落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名、会泰通=あい・やすみち)さん。9月30日、肺がんで死去した。72歳という、落語家としてはまだまだこれからの年齢だった。
先輩にかわいがられ、後輩に慕われることで仲間内の信頼を得る芸人の世界。気の遣い方が半端じゃない。金も使えば気も遣うという、愛すべき存在だった。
日テレ系「笑点」の共演者でもある落語家・林家たい平(57)に「気の回し方、目配り、気配りがすごい」と聞いたことがある。
はまる、という言葉を、芸人の世界ではよく使う。誰々に気に入られていることを「はまる」と表現する。
円楽師匠のことを「あんちゃん」と慕っていた笑福亭鶴瓶(70)が、「どうしてうちの師匠(六代目笑福亭松鶴)にはまってました?」と、不思議に思ったことがあるという。
はまるノウハウはあるのか。
そばにくっついて、師匠大好き!というオーラを出すこと、ただしおべんちゃらを言ったり持ち上げたりはしない、うざいと思われたらおしまい等々、円楽師匠にうかがったことがあるが「これって生理的なもんですよ」とさらり。人たらしの極意は、おいそれとまねができないスキルなのである。
その接着力を、円楽師匠は生かした。仕事でも私生活でも、人と人を結び付けた。
まずは仕事上の話。証言するのは演芸関係者だ。
「円楽さんは、2007年に『博多天神落語まつり』、19年に『さっぽろ落語まつり』、そして22年に『江戸東京落語まつり』の開催にこぎつけました。東京には現在、落語協会、落語芸術協会、立川流、五代目円楽一門という団体があり、大阪には上方落語協会があります。その壁を取っ払って出演者を決めたのが円楽さんです」
仕事でも私生活でも、人と人を結び付け、大切にした円楽師匠
次に私生活での話。
東京・下町で生まれ、「ガキの時分から錦糸町、浅草、銀座のトライアングルで遊んできた」という江戸っ子。地元の友達との付き合いを大切にし、大人になっても子どもの頃と同じように遊び、楽しんでいたという。
「あんなに忙しくても、しょっちゅう友達と遊んでいた。飲んだり、麻雀したり。昔からの友達との関係が切れないのはすごいですよね」と「笑点」関係者は舌を巻く。「元気なころはゴルフコンペを開催していたが、参加者のほとんどが地元の友達、商店主といった面々。景品も自分で用意して、表彰式の司会ももちろん自ら買って出る。あれだけ有名な方が昔と変わらぬ様子で遊んでくれるわけですから、地元の人にとってはたまらないわけですよ」
仕事でも私生活でも、人と人を結び付け、大切にした円楽師匠。あくまでも庶民的で、下町っ子という本分を忘れず、周囲をなじませた。
「グルメを気取って、有名店の顔なじみになるようなこともなく、知り合いの店に行き、気兼ねなく食べるのが大好きでした。おしゃれな印象ですが、グルメじゃないんですよね。好き嫌いが多くて、海産物はほとんど食べないという偏食。家では自分でちょこちょこってチャーハン作って食べたりしているって話していたことがあります。かぎっ子だったから、自分で作るしかなかったそうですよ」(演芸ライター)
生涯気にしていたのは、三遊亭一門の大名跡・三遊亭円生を七代目として襲名することと、五代目円楽一門会の今後のあり方。
課題は次の世代に引き継がれた。