花田優一×中村橋之助【対談】橋之助の思わぬ忠告に優一が動揺「図星なこと言わないで」

靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第12回は特別編第3弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。最終回は橋之助から思わぬ忠告も。この2人だから言えることだった。

花田優一(左)と中村橋之助の対談第3回、親友だからこそかけた言葉とは?【写真:ENCOUNT編集部】
花田優一(左)と中村橋之助の対談第3回、親友だからこそかけた言葉とは?【写真:ENCOUNT編集部】

花田優一コラム・第12回は特別編第3弾、3歳からの親友・橋之助と対談最終回

 靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第12回は特別編第3弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。最終回は橋之助から思わぬ忠告も。この2人だから言えることだった。

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 四代目中村橋之助の本名は中村国生、父は八代目中村芝翫、母は三田寛子という、華やかな芸能一家の長男。これまでの記事を執筆する中で、家族に対しての思いを語る言葉に、橋之助の本質を感じたように思う。歌舞伎役者としての特異な苦悩、独特な環境での価値観の変化を聞くこともできた。今回は最終回として、橋之助をさらに掘り下げていこうと思う。

優一「二人とも今年で27歳になるけれど、30歳に向けての道のりはどんな意味を持ちますか?」

橋之助「今はちょっと焦りしかない。歌舞伎役者としてだけなら、順調に進んでいるのかもしれないけど、今、歌舞伎だけをやっていることが正しいのかという葛藤、裏を返せば他の事をやっている時間があるのかという難しさもある。30年早く生まれていたら、歌舞伎役者としてこんな悩みはなかったと思う。正直、実力だけあってもしょうがない。日本の文化的価値観にメスを入れることになるけれど、結局集客ができなければ意味がないんだよね」

優一「靴業界にいると、どれだけ靴を作るのが上手くても、日本の平均年収にも達しないような職人さんも山ほどいる。例えばサッカーが上手ければ年収50億とかさ、野球でいえば600億の契約だとか、もちろん、どんな業種でも実力がなければ話にならないけれど、実力を伸ばすことが直接的に収入になりやすい職種とそうでないものがあるよね」

橋之助「市場の違いもあるしね」

優一「靴職人と歌舞伎役者って、そういった点で通ずることもあると思っている。衰退している業界自体を盛り上げていかなくてはいけない。その中で、歌舞伎がもう一度上がっていくためには、最も必要なことは何だと考えている?」

橋之助「その答えが見つかれば苦労はないんだけどね。ちょっとその答えとはずれてしまうかもしれないけど、僕たちが先人から受け継がれてきたもの、伝統芸能というものを愛せるお客様を増やしていくってことが、僕たちの一番やるべきことだと思う。ただ、それはゴールであって、そのプロセスを今、全力で焦りながら探している。坂東玉三郎のおじ様に、『歌舞伎をやりたいの? 有名になってチヤホヤされたいの? どっちなの?』って言われたことがあって。認知度を上げることは簡単ではないけれど、テレビに出してもらったり、ある程度簡単な部分もあると思う。でも、認知してもらったとして、役者として劇場に足を運んでもらわなきゃ意味がないんですよ」

20歳の頃の花田優一(右)と中村橋之助【写真:花田優一提供】
20歳の頃の花田優一(右)と中村橋之助【写真:花田優一提供】

橋之助が明かすスターとは 「僕も背中で人を集められるようになりたい」

優一「江戸時代から明治、大正、昭和とどの時代にもスターはいて、成りが良くて、実力があって知名度があるというのがスターの条件だった。2022年、次にスターになっていく橋之助として、今の時代のスターとして持っておかなくてはいけない条件ってあるとするならば、なんだと思う?」

橋之助「今も昔もあまり本質的には変わらないと思う。人に愛されるかどうか、人望を持てるかどうかじゃないかな。やっぱり今の歌舞伎界のスターは皆さん人格者だし、そういう人には人が集まる。僕も背中で人を集められるようになりたいと思うよ」

優一「身近な人に愛されることが、本質だよね。友情ってさまざまな形があると思うけど、僕らの関係も一言で表せないものだと思う。10代で夢を語り合って、20代、俺は独立して靴づくりを始め、くにちゃんは舞台に立つことが増え、お互いにライバル意識しすぎて友人として楽しめなかった時期もあった。一方コロナ禍のような大変な時期には、2人そろって戦おうと鼓舞し合う。家族のように深く、それでいて幼馴染であり、戦友でもあると思うけど、こんな機会しか聞けないので、くにちゃんにとってこの友情はどんな刺激を与えていますか? 安らぎを与えていますか(笑)?」

橋之助「安らぎ、与えているよ(笑)。うん、本当に。やっぱり一生一緒にいるべき人、恋愛とか家族とかじゃないところで感じるかな。そういう大事なひとだからこそ、普段は意外とどうでもよかったり、というか、どうでも良くできたりする」

優一「確かにそうだね」

橋之助「だから気になるよ、このコラムもそう。ただ僕はもう、優一は絶対大丈夫。いろんな人がさ、『優一くんは絶対大丈夫だよ』って言う大丈夫とは違って、本当に大丈夫。あえて簡単な言葉で言う大丈夫っていうのがすべてだと思う」

優一「深い言葉ですよ。ありがとう」

橋之助「一生心が満たされることってないって思うんだよね。人生の段階ごとに欲しいものも変わっていくだろうし、満足して酒を飲める日は死ぬまでないと思うけれども、同じ基準で2人が上がっていかない事には、心のずれも、見えることのずれも生まれてしまう。だから、お互い負けずに、磨きあがっていけばいいかなって思う」

優一「ありがたい存在だよね、本当に」

仲良く肩を組む21歳頃の花田優一(左)と中村橋之助【写真:花田優一提供】
仲良く肩を組む21歳頃の花田優一(左)と中村橋之助【写真:花田優一提供】

橋之助から親友だからこその忠告「50点くらいの人間だと思わせておけばいい」

橋之助「優一には、こんな機会だからね、忠告というか一番近い友として伝えようと思って。優一はやっぱり頭もいいし、言葉もすごく出てくるから、最初に過大評価されすぎるから。最初に50点に思わせて60点取ればいいんだよ」

優一「あんまりそんな図星なこと言わないで……動揺する」

橋之助「いや、優一は、80点ぐらいいつも出してくるんだよ? でも、最初の100点の言葉を聞くと、100点の人間だと思ってしまう。だから、50点くらいの人間だと思わせておけばいいんだよ」

優一「この原稿書くの俺だから、ここの部分書かないでおこうかな」

橋之助「書けよ(笑)!!」

優一「本当に、ありがとう」

 友人としては気恥ずかしく、仕事としてはあまりにも楽しい時間であった。橋之助が母に対して話した「この先何を光として歩んでいくのかっていうのを、一緒に見つけてあげたいなって思う」。これこそが彼の最大の魅力なのである。ただ単に問題定義をするわけではなく、小手先の解決方法を提示するわけでもない、とことん愛する者に寄り添い、純粋な愛情を伝えることを怠らないのである。それは等しく、歌舞伎に対しても変わらない。身内だからではなく、一番近くで彼を見てきたからこそ思う、中村橋之助が歌舞伎を背負う時、それは明るい未来なのである。

□中村橋之助(なかむら・はしのすけ)1995年12月26日、東京都生まれ。本名・中村国生。屋号は成駒屋。8代目中村芝翫の長男。祖父は7代目中村芝翫。2000年、九月歌舞伎座「京鹿子娘道成寺」所化、「菊晴勢若駒」春駒の童で初代中村国生を名乗り初舞台。16年、4代目中村橋之助を襲名。

□花田優一(はなだ・ゆういち)1995年9月27日、第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男として東京に生まれる。15歳で単身アメリカ留学。その後、18歳でイタリア・フィレンツェへ渡り、靴職人修業。2015年に帰国後、工房を構え、作品を作る日々を送る。靴職人としての活動の傍ら、タレント業、歌手活動なども行っている。

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