花田優一×中村橋之助【対談】僕らを作り上げた一番の要因は母「これは重要です」

靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第11回は特別編第2弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。2回目は学生時代の思い出、母への思いについて。

中村橋之助(左)と花田優一の対談、2回目は互いの母について語る【写真:ENCOUNT編集部】
中村橋之助(左)と花田優一の対談、2回目は互いの母について語る【写真:ENCOUNT編集部】

花田優一コラム・第11回は特別編第2弾、3歳から親友・橋之助と対談 母への思い語る

 靴職人・花田優一の連載【花田優一コラム】。第11回は特別編第2弾。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一が、親友で歌舞伎役者の中村橋之助と対談した。2回目は学生時代の思い出、母への思いについて。

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 四代目中村橋之助の本名は中村国生、父は八代目中村芝翫、母は三田寛子という、華やかな芸能一家の長男。前回の記事では、お互いの親子観、世襲制の現実について掘り下げていった。ぜひそちらも読んでいただければと思う。今回は、坊ちゃんとして成長した学生時代、母に対しての思い、それらを鍵にひもといていこうと思う。

優一「編集部の方々が一番興味を持っていたのが、3歳から27歳の今も仲良い、というのはすごいですよね、ということだったのだけど(笑)」

橋之助「確かにそうだよね(笑)。幼稚園、小学校は、学校全体で仲良しっていう感じだったから、中学2年生で同じクラスになったのが、一番のきっかけじゃない?」

優一「その頃から比べて俺の印象変わっている?」

橋之助「いや、変わってないよ。多分、変わっていたら波長がずれていくでしょう。優一は、自分自身変わったと思う?」

優一「あくまで学校という小さな社会での価値観だけど、人から見られる目線とか、無力さとか、殻を壊したいという想いが強かったから、尖ろう、尖ろうとしていた気がする」

橋之助「僕はどう変わったと思う?」

優一「あの頃ってやっぱり箱入り息子じゃないけど、ご両親が守って下さっている中で中村国生というものを育てていって、思春期になるとその箱を壊したいという風になって、自分一人で行動して、一人で結果を出して、一人で悩むみたいなことを繰り返していくにつれて、くにちゃんという男が出来上がっていくのが興味深かったよ。それは、俺が高校生から海外で生活していたから半年に1回帰ってくると、くにちゃんがすごく変わっているわけよ。毎日一緒に学校に通っていたら分からなかったと思う」

橋之助「自分的にも、すごく変わったと思うんだよね。親のおかげで何不自由なく生活させてもらっていたし、坊ちゃんとして生きていたから真っすぐ育ちすぎていた。例えば友人に対しても、相手のことを思うからこそ、心で思ったことは心のままに伝えていたけど、今は物を申した後にドキドキするようになったもん。頭を通すようになったね」

18歳の頃の中村橋之助(左)と花田優一【写真:花田優一提供】
18歳の頃の中村橋之助(左)と花田優一【写真:花田優一提供】

橋之助「歌舞伎界の闇から僕を守り、とんでもない大きな愛で育ててくれた」

優一「物を言った後にドキドキするようになったというのは、仕事としての立場ができたからなのかな? それとも恋愛もきっかけになっている?」

橋之助「恋愛は全く関係ないかな。仕事において、立場というのはいかに自分一人で成り立っているものじゃないということ、たくさんの人の助けの元にそこに立っているということに、気が付いたからだと思う」

優一「父のことばっかり聞かれることの方が多いけど、僕らを作り上げた一番の要因って母だったりするでしょう。くにちゃんの人生にとって母ってどういう重要人物でした?」

橋之助「これは重要ですよ、重要なんですよ。僕の目標は、母がひだりうちわで生活できる老後を提供できる長男になることですから」

優一「お互い母も歳をとってきたしね」

橋之助「本当になんていうんだろう……言葉にするのが難しいけど、歌舞伎界の闇から僕を守り、とんでもない大きな愛で育ててくれたっていうのを子どもの頃から感じてはいたけど、父とぶつかれない分、母とぶつかってしまっていたんだよね。大人になって、僕自身いろんなことが見えるようになって、母の負担を減らしたいという思いが強くなった。50代の方に失礼なのかもしれないけど、残された時間というのを気にするようになってくるんじゃないかなと、僕の想像だけども思うんだよね。自分の幸せ、何をしたら心が満たされるのか、という所に重きを置いて生きてほしい。お金の問題、気持ちの問題、全てにおいて、現実的に助けられないことは『ごめん、まだ待って』としか言えないけど、僕が動いてできることは何でもする、ということは大事に思っているかな」

優一「それは、くにちゃんの昔からブレないところだね」

橋之助「人間ってさ、きっと60歳、70歳になったら、少しずつ風呂敷を畳み始める作業だと思う。でも、歌舞伎役者は80歳になってやっと一流みたいなところがあるから、父においても、もう60歳になるけど、まだ階段登っている途中なんだよね。けれども、母としては子育てがある程度終わった年齢なのだから、この先何を光として歩んでいくのかっていうのを、一緒に見つけてあげたいなって思う」

 最終回は橋之助から思わぬ忠告も。2人だから言えることだった。

□中村橋之助(なかむら・はしのすけ)1995年12月26日、東京都生まれ。本名・中村国生。屋号は成駒屋。8代目中村芝翫の長男。祖父は7代目中村芝翫。2000年、九月歌舞伎座「京鹿子娘道成寺」所化、「菊晴勢若駒」春駒の童で初代中村国生を名乗り初舞台。16年、4代目中村橋之助を襲名。

□花田優一(はなだ・ゆういち)1995年9月27日、第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男として東京に生まれる。15歳で単身アメリカ留学。その後、18歳でイタリア・フィレンツェへ渡り、靴職人修業。2015年に帰国後、工房を構え、作品を作る日々を送る。靴職人としての活動の傍ら、タレント業、歌手活動なども行っている。

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