Mr.マリックの娘・LUNAが苦しんだ過去「名前を聞くだけで吐き気」 不思議な親子関係
かつて一世を風靡(ふうび)したマジシャンのMr.マリックを父に持つLUNAは現在、ラッパーとして活動しながら、新人アーティストのプロデュースも行っている。2人は現在、フジテレビ系「千鳥のクセがスゴいネタGP」で親子共演しているが、かつては「Mr.マリックの娘」として苦しんでいた過去があった。
給食に出てくる“スプーン”にも苦しむ過去
かつて一世を風靡(ふうび)したマジシャンのMr.マリックを父に持つLUNAは現在、ラッパーとして活動しながら、新人アーティストのプロデュースも行っている。2人は現在、フジテレビ系「千鳥のクセがスゴいネタGP」で親子共演しているが、かつては「Mr.マリックの娘」として苦しんでいた過去があった。(取材・文=島田将斗)
名前を聞くだけで吐き気がする――。思春期の娘が父親に向ける“それ”とは意味が異なっていた。
現在は定期的にテレビで共演をしている2人。お笑いコンビ「千鳥」が見守る中、ラップ×マジックという新たなエンタメを父親とともに作っている。しかし、子どものころは憎んですらいた。
「名前を聞くだけで吐き気がする存在でした。『お父さんすごい!』って毎日学校で言われ続けました。毎日マリックさんがテレビに出られてて、学校に行ったら誰かが見ていて、毎日それを言われる状態が小学校だと6年間。結構地獄でしたよ」
今でこそ、さまざまな言葉を巧みに操ることを仕事にしているが、小学校時代ではそうもいかない。悪気のない友人たちの言葉、行動に苦しんだ。
「登校したらまず会話で出てくる。給食になったら“スプーン”が出てくる。それが毎日ですよ。『曲がったね、すごいね』って言えばいいのか、なんて答えていいか分からなかった。子どものころって特に引き出しがないからきつかったですね」
今であれば「もうええって!」と言えるかもしれない。6年間も言われ続けた結果、他人との間に1枚の壁を作るようになった。中学校では芸能人の2世が集まる私立の学校に入学した。
「小学校のときよりは“マシ”でしたね。中学のときは『絶対言わせない』っていう自分の鎧ができちゃっている。完全にひん曲がってました」
学校ではうまくいかず、非行少女の道を歩んだ。「一緒にいるのがチーマーだったりで、ひどいもんでした。やんちゃの極みって感じですかね。もう手に負えないって強制退学になりました。公立も何校か行ってもダメで、2、3か月くらい学校に行かず、最後は卒業証書を取りに行ったくらい」と当時を振り返る。
世間から見れば“間違った道”だったかもしれないが、LUNAにとってはその場所が居心地がよかった。「マリックさんの話は出なかったんですよね。それ抜きで認めてくれたみたいなのがあったかもしれないですね。クラブとかヒップホップの世界では親を知らない人もいたし、フラットにできることがすごく良かったです」と表情は穏やかだ。
気に病むことがなかったのは「彼と自分は別世界の人。お父さんというよりはマリックさん」という思考を作り上げてきたからだった。当然ながら子ども時代の親子の記憶はない。
「あの格好のまま家を出て、帰ってくる。正直怖かったです。彼が顔面麻痺になったときも知らなかった。家に帰ってきて『顔がおかしい』って。ママがご飯を食べさせているから『何があったの?』って聞きました」
家庭を顧みなかった父、2世タレントと紹介されることへの違和感
“2世”として芸能界に入ってからも違和感があった。なぜならLUNAには、いわゆる2世タレントの生活はなかったからだ。
「マリックさん、マジックさえあればって物欲とかないんです。研究系の人だから、新しいマジックを作ってそれを世に出せればいい。例えば1億円があったら、家とか買うんじゃなくて、全部マジックに使っちゃうんです。友だちの家の方が楽しかった(笑)」
地方から上京してきたMr.マリックには「東京に住むなら山手線沿線」の誓いがあった。結果的に部屋は質素なものに。兄がいるLUNAは押入れに部屋を作って過ごしていた。
「暁荘っていう2Kのアパートと3LDKの普通の家に住んでいました。押入れに電気をつけて、段ボールで机みたいのを作る。ちゃんと布団も引けるようにしました。押入れで寝てるときに阪神淡路大震災がきて、東京も大きく揺れてめっちゃ焦りました」
だからこそ感じた“2世”イメージへの違和感だった。「2世特集の番組に出て、周りのみんなは仲が良いから分からなくなりました。うちはママが本当に一般人のおばはん。かたや(父親は)すごい芸能人でそのギャップがすごいんです。2世の人っていわゆる芸能人の生活をしている。自分はアンケートでも何も書けないし、(父親と)一緒に出ていてもイライラしていました」と明かした。
現在では共演するまでになり、親子の関係は修復してきている。ふとした瞬間に家庭を顧みなかった父の気持ちが分かるようになった。
「自分がアルバムを作りますとなったときに気付いたら自分も親と同じように部屋に閉じこもっていて。ご飯中もずっと考える。そりゃあ私たちの相手できないよねって」
エンタメ業界の人間として、プロとして親子の会話は増えていった。
「『自分のやりたいことやってんだから。別に隠す必要はない』と言われて吹っ切れました。番組に出るにあたっての教え『トークは尺を短く』とか『楽屋は来たときと同じように返すのが礼儀だ』とかそういうのを教えてもらいました」
感謝もしている。「自分のやりたいことに関して『NO』は言ってこなかったです。普通だったら『ふざけたこと言ってないで、大学行け』ってなったかもしれない。間口が広くて他の親とは違うかな。そういう意味では、ありがたいですよね」と笑った。
父と一緒にやりたかったことを番組でかなえたLUNA。幸せな悩みも生まれたようだ。ネタ番組では親子で尺の取り合いだ。
「打ち合わせは基本しないで、ほぼ本番とリハーサル。こっちはトラックの上の時間の中でやっている。向こうは見せどころを作りたいし、ここを見せないと“あやしい”という部分がある。マリックさんがストイックだから、それに耐えられるかどうか(笑)。プロ同士でぶつかるときはあります」
「大変なのよ」――。番組ではなくステージでの共演可能性を尋ねると、こう口にした。しかし、その言葉とは裏腹にLUNAは笑っていた。自身を苦しめた存在が今ではビジネスパートナーに。かみ合うことのなかった歯車は順調に回り始めた。