【週末は女子プロレス♯66】ジェンダーレスに憧れた元“男装アイドル” 関口翔がプロレスのリングで闘い続けるワケ
ボーイッシュなルックスが魅力の関口翔(かける)。アクトレスガールズのプロレス団体終了後はフリーに転身し、さまざまな団体に参戦している。小学生の頃から男の子のように活発だった彼女は、ジェンダーレスで活動するモデル&女優に憧れるようになった。雑誌「KERA」のAKIRA、世界で活躍するエリカ・リンダ―。彼女たちに羨望のまなざしを送るうちに男装に興味を持つと、男装アイドルグループ「志団組」に参加する。
アクトレスガールズ→フリー転身、さまざまな団体に参戦する関口翔
ボーイッシュなルックスが魅力の関口翔(かける)。アクトレスガールズのプロレス団体終了後はフリーに転身し、さまざまな団体に参戦している。小学生の頃から男の子のように活発だった彼女は、ジェンダーレスで活動するモデル&女優に憧れるようになった。雑誌「KERA」のAKIRA、世界で活躍するエリカ・リンダ―。彼女たちに羨望のまなざしを送るうちに男装に興味を持つと、男装アイドルグループ「志団組」に参加する。
「男の子の格好をして唄って踊ってました。もともと舞台俳優をやってみたいというのもあって、一度グループを抜けたんです。そこから舞台をやって、それが終わった頃に、アクトレスガールズの坂口敬二代表と出会ったんですよね」
当時はちょうど大学4年生で、就職活動を始めなければと考えていた時期だった。しかしながら、まわりがしているからやらなくては、という程度で、OLになる自分など想像できなかった。そんな頃にかけられた「プロレスやってみないか?」という言葉。ありきたりの生活を望まなかった彼女は、プロレスも格闘技もまったく知らなかったものの、まずは見てみようと思い、アクトレスガールズの大会「Beginning」に足を運んだ。そして一瞬で初観戦のプロレス、アクトレスガールズに魅了されたのである。
「感動しちゃって、自分でもやってみたいと思って、(アクトレスガールズに)入りました」
とはいえ、そこはまったく未知の世界。練習翌日には筋肉痛で身体が動かなくなり、当時は練習環境も良好とは言えず不安が募った。が、2017年3・26新木場でデビューを飾ると「期待と楽しみが多くなりました」と、プロレスラーとしてやっていく決心がついた。
すると、翌月のデビュー2戦目でOZアカデミーを主戦場とするAKINOの目に留まった。AKINOには「将来性のあるいい人材を見つけた!」という感覚があったらしい。当時、他団体との交流がほとんどなかったアクトレスガールズにおいて、関口にはいち早く他団体へのレギュラー参戦が認められたのである。
OZアカデミーへの初参戦は、同年8・20後楽園ホール。デビュー14戦目で初の聖地登場であり、しかも相手が女子プロ界の大御所・尾崎魔弓とのタッグマッチだった。OZといえばヒールが絶対的中心を担い、業界のレジェンドたちが闊歩する異色の団体だった。対照的にアクトレスガールズは、プロレスとは無縁だった女性が芸能活動との両立をコンセプトに闘うリング。まったくの正反対に位置する両団体を往来していたのが、関口だったのである。
「そうですね。でも当時は、とにかく必死で食らいついていくしかなくて、自分だけが他団体にレギュラーで出てるとか、両極端の団体に出てるとか、そういったことを考えたこともなかったです」
確かに、プロレスラー一年目であり、右も左もわからぬうちに他団体に引っ張られた。AKINOに見初められたのは後日聞いた話で、AKINO率いるMK4にそのまま参加。尾崎ら“正危軍”に対抗するユニットの一員として、プロレス実戦修行の場に入ったのである。17年末には、リングネームを本名から関口翔にあらためた。
「OZではただただ圧倒されました。でも、(AKINOから参戦の意思を問われ)自分でやりたい、出たいと言ったので、絶対に逃げるわけにはいかない、立ち向かうしかないと思ってやっていましたね」
ボロ雑巾のようにされながらも、関口は正危軍の攻撃に耐え抜いた。長い苦闘の末につかんだ初めての栄光が、20年12・30後楽園におけるOZアカデミー認定タッグ王座奪取だった。この日、関口はデビュー2戦目の相手でもあった小林香萌とのコンビで、AKINO&加藤園子組から勝利。自身でのフォール勝ちではなかったとはいえ、キャリア初のベルトをMK4同門対決で勝ち取ったのだ。
「リングの上でメチャメチャ泣いてました。初めてのベルト戴冠で、まさか自分が取れるとも思っていなかったので、ベルト、賞状、トロフィーをもらう流れもわからず、ただただうろたえてましたね(苦笑)」
2度目の戴冠は、ホームリングであるアクトレスガールズのタッグ王座だった。21年8・13後楽園で本間多恵&尾﨑妹加の初代王者組を破り、悲願の奪取。同期の青野未来とはKKMK(カケミク)というチームを作り、初代王者決定トーナメントで決勝まで進むも涙を飲んだ。このときあらためて同期コンビの重要性を認識し、結束力が高まったという。そしてつかんだ第2代王者の座だが、アクトレスガールズが年内をもってプロレス団体としての活動を終了。KKMKは3度の防衛を果たしたものの、ベルトはシングル王座とともに封印。青野はアクトレスに残留し、関口はプロレスラー継続の道を選んだ。
「今後どうするか、本当に悩みましたね。こういうのもあるんだよとプロレスに誘ってくれたのが坂口代表だったので、(アクトレスに)残りたい気持ちもあったし、プロレスのイロハを教えてくれたのはある意味でMK4のAKINOさん、加藤さん、香萌さんでもあったので、そっちも続けたいと思いました。(ビギニングとカラーズの解散を)知ってからの数カ月、ギリギリのギリギリまでメチャクチャ悩みました。毎日寝るまで、続ける続けない、やめるやめないで、ずっと考えながら過ごしてましたね。毎日毎日、一瞬一瞬で答えが変わるんですよ」
「一度フリーになって自分がどれだけできるのか試してみたいと思ったんです」
そしてくだした決断がプロレスラー継続。その先にはまた、団体所属かフリーの選択肢も残されている。関口が選んだのは、フリーとしてのプロレス活動継続だった。
「団体に所属すべきかどうかも考えたときに、一度フリーになって自分がどれだけできるのか試してみたいと思ったんです。それでフリーを選びました」
現在、OZアカデミーをはじめ、ディアナ、PUREーJ、SEAdLINNNG、YMZなどさまざまな団体のリングに上がっている。ガンバレ☆プロレスにも初参戦を果たし、アクトレスガールズのブランドを引き継ぐCOLOR‘Sにも登場。プロミネンスにも参戦予定だったが、コロナ陽性のため、流れてしまった。これはまた次の機会を待つとしよう。
「それぞれ団体の特色があっておもしろいなと思います。レギュラー的に出るようになるとその団体を見る機会も増えるし、そうなるとますますプロレスが好きになりますね!」
今年7月、PURE-Jでデイリースポーツ認定女子タッグ王座を奪取した。OZでは別ユニットの米山香織と、ここでは山口というコンビを組み(「米山」の「山」と「関口」の「口」で「山口」)、中森華子&中島安里紗組からまさかの勝利をもぎとったのだ。8・11後楽園でライディーン鋼&SAKI組に敗れたものの、強いんだか弱いんだかわからないハラハラドキドキ感は「山口」独特の世界観で、なによりも見る人を笑顔にする不思議な力があった。
「一度は断られたんですけど、自分からラブコールして組んでもらえました。米山さんしかいないと思い、勝手にセコンド着いたりして(笑)。米山さんっていろんなところでプロレスができて、いろんな人を笑顔にするということを教わって、自分にはお姉さんのような存在です。こないだは負けましたけど、山口はまだ解散していませんよ!」
こうしてみると、関口がタッグプレーヤーであることがわかるだろう。そこは本人も自覚しているという。
「そうですね。自分、タッグの方が好きです。助け合える仲間がいるというのが心強くて、ひとりじゃできないことも助けてもらったり勇気づけてもらったりしてできると思うんです。入場直前でも勇気をもらいながらリングに出ていけるので、そういう意味でもタッグが好きだなって思いますね。ひとりでやるよりも、みんなで作り上げていきたいタイプかもしれないです」
しかしながら、フリーになったからこそシングルプレーヤーとしても一本立ちしたいと考えるようになった。そのなかで迎えたOZアカデミー8・21後楽園、わずか40秒でアジャコングとのシングルマッチに敗れてしまう。「シングルは他力本願はきかねえんだよ。
誰かを頼りにしようなんて思ってんじゃねえ!」というアジャの言葉が胸に刺さった。
「いままでタッグのイメージが大きかったですけど、フリーになったからにはひとりでも闘っていかなければいけないので、シングルプレーヤーとしてもっと自分を出していきたいと思います。フリーで9カ月やってみて、あらためてそう思いましたね」
現在、アクトレスガールズ出身者は、残留も含めさまざまなリングで活躍している。その姿が大いに刺激になっているとも関口は言う。
「自分が入った当時にいた20人くらいのメンバーがいろんなところに飛び立ってると考えると、あの頃のメンバーってすごかったんだなって思います。(長谷川美子の)復帰しますというツイッターとか見てもうれしくなりますよね。なので自分も、もっともっと欲を出していきたいなって思います!」