【週末は女子プロレス♯63】アイドル、大学、プロレスの三刀流 星いぶきと先輩レスラーで母のハム子との特別な関係
アイスリボンの星ハム子と星いぶきは、日本で唯一の母娘レスラーである。プロレスが家業であることが当たり前のメキシコではそれほど珍しくないとしても、世界全体からすれば極めて稀だ。
プロレスとの初遭遇は母の試合
アイスリボンの星ハム子と星いぶきは、日本で唯一の母娘レスラーである。プロレスが家業であることが当たり前のメキシコではそれほど珍しくないとしても、世界全体からすれば極めて稀だ。
いまや世界で最も稼ぐ俳優に上り詰めた元WWEの“ザ・ロック”ドウェイン・ジョンソンが製作、出演した映画「ファイティング・ファミリー」のモデルになったペイジは母親がプロレスラーで、WWE入り前には祖国イギリスでタッグを組んだり闘ったりもした。ペイジは父や兄、家族全員がレスラーという特殊な事例ではあるものの、ハム子&いぶきの母娘もドラマチックな経歴を歩んでいる、現在進行形の“ファイティング・ファミリー”なのだ。
娘のいぶきは、2003年4月24日、北海道岩見沢市で生まれた。4歳のころに母が上京。かねてからの夢であるプロレスラーになるためだ。いぶきはその事実を知らされず、祖父母と一緒に暮らしていた。「言っても分からないと思ったので。離婚したことも言わなかったです」(ハム子)。「おじいちゃん、おばあちゃんといるのが当たり前で、あまり覚えてないんですけど、お母さんが家にいなくても、おかしいとは思わなかったんですよね」(いぶき)
ある日、祖父母がいぶきをプロレス会場に連れていった。いぶきは、プロレスについては全く知らず、これがプロレスとの初遭遇。しかも出てきたレスラーが母親だと聞かされ驚いた。こんな衝撃体験、世界でもいぶきだけだろう。
「なにがなんだか分からない状況で連れていかれて、(試合をしているのが)お母さんだよって。他の親と違ったので、ただただ恥でしかなかったです」(いぶき)
このとき母は、プロレスラー星ハム子として、北海道に凱旋(がいせん)したのだ。北斗プロレスの大会だった。その後も別居が続き、中学校ではいぶきが不登校になった。引きこもり期間中、偶然、YouTubeのプロレス動画が目に留まった。DRAGON GATEの試合だった。
「プロレスすごいなって思いました。選手たちが飛んだり跳ねたり、動いてる姿がカッコよかったです」(いぶき)
そのとき、母の職業と同じという意識は全くなかった。ハム子でも、ハム子の所属するアイスリボンでもなく、いぶきはDRAGON GATEのプロレスに憧れた。
10年ぶりに母娘で生活
そんなころ、祖父母がハム子に「いぶきの環境を変えたらどうだろう?」と相談。不登校が続いていたため、転校し、母と暮らすのはどうかと考えたのだ。娘を置いて家を離れる際、「いぶきに何かあったら帰ってくる」「いぶきの行事には帰ってくる」と祖父母に約束していたハム子。その約束を守りながらプロレス活動をしていたのだが、10年ぶりに母娘で暮らすことに決めた。当時中学2年生のいぶきは「遊びのつもりで」アイスリボンのプロレスサークルに参加。次第に「自分でもやってみたい」と考えるようになり、ほかの女子団体を知らないことも手伝って、そのままアイスリボンの練習生となったのである。
実は、かねてからハム子は娘にプロレスラーになってほしいと思っていた。自身、全日本女子プロレスの大ファンで、道内の大会を追いかけた。しかも地元で片道2時間かけて道場に通い、トレーニングも行っていた。「将来プロレスラーになると高校の先生に言っていたし、レスラーになるため学校のテストも休んだくらいプロレスをやりたかったんです。でも結婚することになり、子どもを産みました。その後もプロレスを見続けて、やっぱりプロレスが好きなんだなって」(ハム子)
子育てしながらも、レスラーを夢見た。そして、トライしてダメなら諦めがつくと、「出稽古のつもりで」友人とともに上京。さくらえみ主宰のアイスリボンの門をたたき、練習を重ねるうちにデビューの話が出た。
夢はかなった。が、ついたリングネームが「星ハム子」。さっそうと華麗にリングに上がる姿を想像していただけに、当時はさすがにへこんだようだが、名前のインパクトが現在の姿につながっていると今では考えられる。「そこは感謝してますね。ハム子じゃなかったら、もうやめてたかもしれないですし」。
娘が上京し、伝えていなかった親の夢も実現が見えてきた。気になるリングネームは、「星ハム美とかになるかもねという笑い話はあった」ものの、「星いぶき」に“無事”決定。「変な名前だったら拒否したと思います(笑)」と、いぶき。そして思わぬアクシデントから、まさかのデビュー戦を迎えることとなる。
17年6・11札幌大会。本来ならサプライズによるいぶきのエキシビションマッチが予定されていた。ところが、ハム子のパートナー宮城もちが負傷、試合ができない状態となってしまう。この日、地元凱旋(がいせん)のハム子はもちとのタッグでメインに出場、つくし&柊くるみとのインターナショナルリボンタッグ王座決定戦が組まれていたのだ。
そこで団体が考えたのが、いぶきのデビュー戦という“奇策”だった。母娘タッグで、いきなりメインのタイトルマッチに大抜てき。とはいえ、聞かされたハム子は猛反対だ。「すでに受け身はできていた」ようだが、「いくらなんでも入門から2か月では早すぎる」。至極まっとうな意見である。
それでも、佐藤肇社長と藤本つかさは、いぶきの意志を確かめようと「デビューしたい?」と聞いてみた。するといぶきは、「したいです!」と即答。ただし、何も分からない状態での返事であり、「メインのタイトルマッチ」と聞いた記憶もないという。本人としては、「デビューしたい」との気持ちを伝えたにすぎないのだ。
母の不安をよそに、この日のメインはいぶきのデビュー戦、母娘タッグでのタイトル初挑戦になった。しかも、いぶきが予想をはるかに上回る大健闘。試合はつくし組の王座奪還となったが、終わってみれば20分越え。タッグマッチとはいえ、新人としては異例の闘いぶりだった。
「かなり捕まってましたけど、よく耐えたなって。ビックリしました、私も」と当時を振り返ったハム子。いぶきは、「(プロレスサークル時に)仲良くしてもらってたつくしさん、くるみさんと闘うとなると怖かったです。でも、試合が終わったらすごく楽しいと思えたので、プロレスもっとやっていきたいと思いました」
高校の卒業式にベルトを持って出席したいぶき
そして、昨年の大みそかには母娘で念願のタッグ王座初戴冠を成し遂げた。いぶきはベルトを持って母とともに高校の卒業式に出席、今春から大学に進学した。
「勉強は嫌いなんですけど、高校の成績が意外とよくて、会社やつっか(藤本)さんから絶対に行っておいた方がいいよと言われて、受験しました。語学を専攻していて、充実してるし、楽しいですね」(いぶき)
さらには、アイドルとしてのデビューも決定。いぶき&真白優紀(アイスリボン)、増田友梨奈(タレント)の3人で構成されるユニット「H!FLY」(ハイフライ)がデビュー曲「SUKI SUKI」とともに、8・13成増大会でお披露目された。プロレス、大学、アイドルの三刀流で大忙しだ。
「もともと歌うのが好きだし、ダンスも小さいころからやってたので、すごくうれしいです。実際すごく忙しいけど、(アイドルの)レッスンも楽しくできてるし、(三刀流も)苦ではないですね」
娘の大学進学により「(もっと)働かなきゃですよね」と言って笑いつつも、気合を入れ直したハム子。「いぶきにはやりたいことをやってもらいたいなって思ってます。私は夢をあきらめきれずに25歳でデビューしましたけど、いぶきは(5年後の)10周年でも24歳なんですよ。これからなんでもできるし、夢を言葉にした方がいいと思います。発言することによって実現すると思うので」(ハム子)
“先輩”からのアドバイスにいぶきは、「今後の目標として、(シングルの)ベルトも狙いつつアイスリボンのトップを狙っていきたいです。いろんな強い人と闘ってどんどん成長して、自分がアイスリボンを引っ張っていけたらなって思います!」と力強く抱負を語った。
試合会場や道場ではプロレスラーの先輩後輩であり、家では普通の母と娘。この2人にしかできない、特別な関係だ。