アクトレスガールズ本間多恵 偏見と戦った日々 ルチャとの出会いで改めて感じた「プロレスの魅力」

本間はメキシコ遠征でさらにプロレスの魅力を知った【写真:新井宏】
本間はメキシコ遠征でさらにプロレスの魅力を知った【写真:新井宏】

負傷欠場して改めて実感「プロレスは危険なスポーツ」

 デビューから10か月後、本間はヒザを負傷する。左ヒザ前十字靱帯断裂及び半月板損傷。約1年間、彼女はリングを離れることになる。そのままフェードアウトしてもおかしくはなかったが、本間は違った。練習場や試合会場に行くことは欠かさなかったのだ。屈辱的な思いにまみれても……。

「一緒にデビューした子たちが他団体に出始めたころだったんです。みんなどんどん輝いていくし、見ていくうちに劣等感の塊になってました。リングに立てない自分が悔しくて、セコンド帰りで泣いていたりとか。もう毎日、泣いていましたね。悔しくて、悔しくて、泣いちゃうんですけど、でも応援もしていましたね。アウェーに乗り込んでボコボコにされてもがむしゃらに向かっていく。そんな仲間の姿に感動もしたし」

 欠場したからこそ、得たものもあった。プロレスは危険なスポーツだとあらためて知ることができたのだ。一瞬の油断で選手生命の危機にさらされる。自分たちは女優ということで、色眼鏡で見られることが多い。だからこそ、しっかりと身体をつくり、真摯にプロレスと向き合うことが必要とされるのだ。

「戻ってきてから、リングに入るときに必ず自分で誓うようになりました。自分の足で入って自分の足で下りますと。それはメンバーにも。自分の足でリングに入って自分の足で下りるんだよって」

 昨年4月、本間は海外遠征を実現させた。1週間ではあるが、メキシコのメジャー団体CMLLに参戦した。きっかけは、CMLL世界女子王者マルセラとのタイトルマッチ。新木場でおこなわれた試合後、「本場のルチャを学びたい」との気持ちをマルセラに伝えた。その思いが届き、初のメキシコ遠征が決定したのだ。

「ルチャルールの3本勝負でやらせていただいて、すごく視野が広がったような気がしました。いままでとまったく違う景色に見えて、これもプロレスだし、あれもプロレスなんだって。そんな景色をもっと見てみたいと思って直訴したんです」

 そして本間は、ルチャの殿堂アレナ・メヒコのリングに2度立った。グアダラハラでの地方大会も経験した。特に最後の試合は会場の63周年記念というビッグショーで、満員の観衆で埋まっていた。これまでの経験ではありえない、軽く1万人越えである。

 ルチャの魅力にハマった本間は、試合の合間に道場へ通った。ルチャ独特の関節技、いわゆる“ジャベ”の習得に励んだのだ。マルセラから変形アキレス腱固めを授かると「メジャモ☆タエ」と命名。「私はタエです」という自己紹介のような技を武器に凱旋を果たしたのである。その成果が、アイスリボンのトライアングル王座奪取だった。彼女にとって初めてのチャンピオンベルト。しかも試合形式は3人が同時に闘う3WAYマッチに限定されている。これもまた、プロレスならではの新しい景色である。やればやるほどプロレスが好きになっていく。と同時に、女優の活動も並行させていく。もちろん両方とも彼女がやりたいことであり、それこそがアクトレスガールズのアイデンティティーでもあるからだ。

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