アクトレスガールズ本間多恵 偏見と戦った日々 ルチャとの出会いで改めて感じた「プロレスの魅力」
アクトレスガールズは、“女優によるプロレス”をコンセプトに旗揚げした女子プロレス団体だ。芸能とプロレスを合体させるプロジェクトには、古くはかつて吉本興業が立ち上げた「吉本女子プロレスJd'」の“アストレス”と呼ばれる女子レスラーを皮切りに、アイスリボンの“マッスルビーナス”などいくつか前例がある。が、はじめから芸能活動との両立を掲げたプロレス団体はアクトレスガールズが初めてだ。現実として、最近ではアスリートよりも舞台演劇関係からデビューする女子レスラーも多くなっている。そのうえ、スタート当初は既存のプロレスラーがいなかった。一期生全員がゼロから、いや、そのコンセプトからも、むしろマイナスからのスタートだったのだ。
プロレスと芸能の両立 世間からの非難で芽生えた発奮
アクトレスガールズは、“女優によるプロレス”をコンセプトに旗揚げした女子プロレス団体だ。芸能とプロレスを合体させるプロジェクトには、古くはかつて吉本興業が立ち上げた「吉本女子プロレスJd’」の“アストレス”と呼ばれる女子レスラーを皮切りに、アイスリボンの“マッスルビーナス”などいくつか前例がある。が、はじめから芸能活動との両立を掲げたプロレス団体はアクトレスガールズが初めてだ。現実として、最近ではアスリートよりも舞台演劇関係からデビューする女子レスラーも多くなっている。そのうえ、スタート当初は既存のプロレスラーがいなかった。一期生全員がゼロから、いや、そのコンセプトからも、むしろマイナスからのスタートだったのだ。
そのなかのひとりが、本間多恵である。本間は歌手にあこがれ愛知から上京。美容の専門学校卒業後、一度は就職したのだが、当時の上司の勧めもあり、あきらめていた夢をかなえることにトライした。その後、芸能事務所のオーディションに合格しミュージカル出演のチャンスを得た。その舞台で2年ほど全国をまわった。引き続き舞台で活動していたところ、プロレス団体旗揚げの話を聞いた。子どものころから体を動かすことは好きで学生時代にはバスケットボールをしていたものの、格闘技の経験はない。K-1やPRIDEは好きで見ていたというが、プロレスについての知識は皆無だった。
「知らないから好きも嫌いもなかったんですよね。先入観さえなかった。なので、逆に、もしかしたら自分の商品価値としてプラスになるかもと思ったんです。だったらやってみようと思ったのがきっかけですね」
数人の仲間とともに、トレーニングを始めた。それなりに苦労はあったが、楽しく感じられたと本間は言う。
「大人になってから、やれないことができるようになるって、なかなか無いじゃないですか。たとえば受け身ひとつでもドロップキックでも、できないものができるようになると仲間が褒めてくれるんですよ。逆に自分ができなくて仲間ができると悔しくて負けたくないからさらに練習するんです。自分の性格もあって、そういう感覚にどんどんハマっていきましたね」
しかし、一歩外に出ると非難の嵐にさらされた。
「後ろ指をさされるばかりで否定しかされなかったです。プロレス業界からも芸能界からも、両方とも中途半端だと言われ続けました。ホントに否定、否定、否定……。なにやってんだ? なにやりたいんだ? っていう声ばかりで。でも、そういう人たちがいたからこそ、『なにクソ』ってなれたんだろうなって、いまは思えますね」
偏見の目にさらされ、否定的な声を聞くうちに、自分たちも「これは本当に正しいのだろうか」と疑心暗鬼に陥った。団体が旗揚げし、レスラーデビューを果たしても、そういった声が消えることはない。「楽しいし、やりたい気持ちもあるのに、続けていくことに意味があるのかと、常に葛藤していました」