「直感に従ってきたから今自分がここにいる」世界的運動に身を投じる若き環境活動家の思い

現代に生きながらかつての豊かな世界観を取り戻すためのヒントは、毎日の生活のなかで、自分と他者の境界、自分の有限性にふれる瞬間を大切にすることにあるという。二項対立や植民地主義を乗り越えて、自然や社会と個人がつながるにはどうすればよいのだろうか。「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏と、探究型の環境教育プログラムを実施する一般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏に語ってもらった。

「Climate Clock」設置プロジェクトなど環境問題に対する運動を推し進める酒井功雄氏
「Climate Clock」設置プロジェクトなど環境問題に対する運動を推し進める酒井功雄氏

若き環境活動家・酒井功雄氏が振り返るこれまでの歩み

 現代に生きながらかつての豊かな世界観を取り戻すためのヒントは、毎日の生活のなかで、自分と他者の境界、自分の有限性にふれる瞬間を大切にすることにあるという。二項対立や植民地主義を乗り越えて、自然や社会と個人がつながるにはどうすればよいのだろうか。「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏と、探究型の環境教育プログラムを実施する一般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏に語ってもらった。(取材・構成=梅原進吾)

酒井功雄「(中編からの続き)。直感とか感覚みたいなものに従ってきたから今自分がここにいます。理性的に判断せずに進路を決めたりとかインターンを合わないからといってやめたりしてきました。ひらめきや感覚で選択してきたんですね。かつては、将来の自分が今の大学にいるとも、『Fridays for Future(未来のための金曜日。気候変動への対策を求める運動)』をやるとも思っていなかった。理性的には選択しえない道を、感覚的に選んできたんです。結局のところ、頭ではなく体が答えを知っていると思っているんですよね。中国気功に取り組んできたというのもあって、子供のころから体が感じることに向き合ってきたつもりです。

 僕は都会育ちなので、気候変動運動を始めた頃は自然との関わりがすごく少なかったんです。当時は、自然が好きじゃない自分でもこんなことができるんだ、これは自然とは関係のない問題だと言っていました。しかし、大学に入ってリベラルアーツ的な教育を受ける中で、自分の持っていた自然の概念を揺さぶるような文献を読んでいきました。そうすると、かつての自分は、自然と人間を分断して、技術論的な解決策を提唱していたことに気づきます。問題の原因を再生産していたんです。

 さらに学び続けると、新しい植民地主義は暴力ではなく、文化の押し付けという形を取ってきたとも知りました。ならば、もともとはそれ以外の知のあり方が存在したはずだと気づきました。まさに、自分が信じてきた直感や気功、東洋思想です。それらもまた価値のある知や存在のあり方なんだと納得することができたんです。そういった感じで、自分はマインドのシフトが先で、そののちに自然へと向かっていきました」

青木光太郎「きっとどんな人でも、葬式に出たときなんかには、日常では隠されている人の有限性にぱっと出くわしますよね。その瞬間、見えるものがあるはずです。あるいは真暗闇の中で星や海を見るときに、目の前に無限が広がっていると感じることがあるはずです。つまり時間や空間のかたちがこことは違う世界をのぞき込む経験は誰でもできると思うんですよね。ところが、それらの経験同士のつながりというのは見えにくい。みながどこかで味わっているそれらの経験を結びつけて、人生のなかでもつながりを見出せるようにする、その動きを促進するのがKOTOWARIです。個人のなかでも、社会のレベルでもです」

酒井「そういう意味で言うと、どうしてかは分からないんですが、部屋の電気を消して、暗闇の中でただ佇むというのが子供の頃好きだったんですよね」

青木「私もやっていました(笑)。お風呂とかでね」

酒井「すごい好きだったんですよね。それがなぜかを考えてみたとき、自分のその身体の境界線が目視できなくなることの安心感に思い至ったんです。光が当たると、自分が空間の中で切り出されている感覚がある。それこそ日中は、自分を見てくれ、と思うわけです。ただ、全体性に包まれたくなるというか、個であることの辛さから離れたいというときに、外界と自分との境界が見えない、とけている感覚に浸って安心感を覚えていました」

青木「解放感がありますよね」

酒井「そうなんです。接続している感じというか。その後、本を読んだり話をしたりしていく中で、そうか、もともと生態系の働きとしては自分は元から溶けていたんだ、と気づいたんです。それはそれこそ西洋由来の世界において、個人の枠がはっきりしていることから来る生きづらさに起因していたのかもしれません」

高校生や大学生を対象とした探究型の環境教育プログラム「KOTOWARIサマースクール」を主宰する青木光太郎氏
高校生や大学生を対象とした探究型の環境教育プログラム「KOTOWARIサマースクール」を主宰する青木光太郎氏

「みんなが共感する必要はない。やるべきだと考えて行動を起こすのではない形がいい」

青木「人間の世界から闇が消えた歴史上のタイミングと個が生まれた、孤立が始まったタイミングが一緒だと述べている学者がかつていましたね」

酒井「そうなんですね。そう聞いて思い出したのですが、大学で先住民族の建築のエッセーを書いた際、日中もあまり光の入らない薄暗い建物に、集団で雑魚寝している例を取り上げました。きっと、そういう空間だと、自分の境界が見えづらくなって、集団に溶けている感覚が立ち上がるのではないでしょうか。自分が集団や空間の一部となることで、そういった状況下では、ある意味でアイデンティティが融合しているので、その空間から他者がいなくなることが、自分の一部が欠落するといった感覚として感じられる。そうしたかつての存在の仕方が変わってしまい、個が切り離されたことによって、他者がどうなろうが関係ないというような意識が現れる。それが孤立化なんでしょうね」

青木「かつて神話や原始宗教が人々の想像力にすんなりと働きかけられたのも、集団と接続された状態にみながいたからこそだと思います。それは、今の人が読んでも伝わらない話なんだと思います。修行みたいなものも、発達しきった個の意識をどう意図的にリセットするかが課題になってくるわけです。その上で教典や神話がすっと入ってくる」

酒井「そうですね。必ずしもみんなが共感する必要はないと思います。共感して、やるべきだと考えて行動を起こすのではなく、むしろ便乗するような感覚で参加できるインターフェースを作っていきたいですね。微生物は、自分たちが気持ちいいことしかしないんだそうです。だから微生物と仕事をする人たちはその前提の下で仕事を考える。人間も同じなんだと思います。『こっちのほうが面白そうだな』というふうに人間も集ってきますからね。

 神話ということばがまさにしっくり来るんですが、自分の世界を構成している、世界を納得するためのナラティブなんですよね。科学をベースにした合理主義が暫定解のナラティブだったのですが、そこに納得がいかなくなり始めている。だからこそ、それをどう修正するかが大事なのだと思います。アイヌの文化では、神=カムイと互恵的な関係性を築き、互いにケアをするという意識があります。それは自然を保護するといった枝葉の問題ではなく、自分たちの存在に根幹から関わる、この世界を成り立たせるレベルのことなんです。そういった世界観=神話をアップデートして現代に広めるにはどうしたらいいのかを考えています。自然は理にかなうデザインを持っている。自然が全体としてどう動いてるのかを見るなかで生まれた伝統的な神話というのは、まさに理にかなっているのかもしれません」

「本当のものであればあるほど、全部が入っている」

青木「科学神話は全体のつながりを描き出すことはありません。そういう意味で、科学というのは神話的な機能は十分には果たせないシステムですよね。どこまで突き詰めたところで、神話の役割を肩代わりすることはできない。神話には、原点につながっているような体験やそこから出てくる感情が含まれています。さっきあがった、直観や感覚というものを深く探求していくとここにつながってくるはずです。現代の人はビジネスの中に組み込まれた刹那的な快感だけを感じ取っていて、本当に楽しいという感覚を得ていないのかもしれません。その商品を作った人を越えた外の世界には手が届かないんだと思うんです。KOTOWARIでは会津の自然でも食べ物でも、本物が体験できる。そしてそれらは参加者自身に力を与えてくれる」

酒井「そこで生まれる感情というのは、複雑なものなんだと思います。ポジティブとネガティブが並立するような。すごく楽しいけれど、すごい悲しいとか。山尾三省が『アニミズムという希望』(新装版:新泉社、2021年)のなかで沖縄の『愛い』(かない)という言葉を取り上げているのを思い出しました。悲しいほどに愛しいものがあると説いているんです。ポジティブさの塊のなかにだってネガティブさが含まれている。まさに真理だと思いました」

青木「本当のものであればあるほど、全部が入っています。私の好きなドストエフスキーには、もっとも俗なものからもっとも聖なるものまで、純粋な喜びから純粋な悲しみまで含んでいるんです」

酒井「二元論でもないですよね。二極が連続しているわけですからね」

青木「そうだと思います。そういったくくりやパターンをすべて外したところに見えてくるものを提示したいし提示されたい。自然もそういったものだと思うんです。空気が良いといったきらきらした要素だけではなくて、実際には残酷でもある。心地のよくないことも起きる。たとえば夜の森は個からの解放をもたらすかもしれない一方で、非常に危険な場所ですよね。そういった善悪ないまぜの何かに触れるということが重要なんだと思います」

(終わり)
□酒井功雄(さかい・いさお)アーラム大学3年休学中。2001年、東京都中野区出身。19年2月に学生たちの気候ストライキ、“Fridays For Future Tokyo”に参加。その後Fridays For Future Japanの立ち上げや、エネルギー政策に関してのキャンペーン立案に関わり、21年にはグラスゴーで開催されたCOP26に参加。気候変動のタイムリミットを示すClimate Clockを設置するプロジェクトを進め、1300万円をクラウドファンディングで集めた。現在は米国インディアナ州のリベラルアーツ大学において、平和学を専攻。 Forbes Japan 世界を変える30才未満の日本人30人選出。

□青木光太郎(あおき・こうたろう)1992年、千葉県生まれ。翻訳家、探求者。一般社団法人KOTOWARI代表理事。米ウェズリアン大学では哲学を専攻。卒業後、投資運用会社のBlackRockに勤務。その後、東京大学で開催した公開講座や教育の本質を考察するウェブメディアの連載など、教育関連の事業を経験。インドのヒマラヤ山脈などでの数年の瞑想修行などを経て帰国。KOTOWARI会津サマースクールを主宰。

□一般社団法人KOTOWARI 福島県奥会津での宿泊型集中学習を核に、高校生や大学生を対象とした探究型の環境教育プログラムを提供。大学の研究者、海外大学の大学院生・卒業生、地域の事業者や活動家、自然の原体験といった多様な情報の源泉に触れながら、参加者は対話を中心としたリベラルアーツと深い内省を組み合わせた学びを得る。経済や環境の多層的な理解を身につけると同時に、各々の世界に対する先入観や自分に対する固定観念を取り払い、自分自身と世界、自然のつながりを築く価値観、世界観を醸成する。代表理事に青木光太郎氏、事務局長に宇野宏泰氏。また一橋大学名誉教授・野中郁次郎氏、ハーバード大学経営大学院教授・竹内弘高氏が理事を務める。今年8月17日から21日には福島県南会津町・会津山村道場にて2回目のサマースクール(https://kotowari.co/summer-school-2022/)を開催予定。

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