環境破壊はなぜ続く? 課題解決へ葛藤する若き世代、直面する根本的な問題点とは

SDGs(持続可能な開発目標)が取り沙汰される昨今でも、気候変動問題に対する根本的な解決は未だ遠い。専門家が警鐘を鳴らしはじめて早数十年、私たちの生活や選択が変わらなかった背後にはどのような意識があったのか。行動変容のヒントはどこにあるのか。これからの新たな環境教育のかたちを実践する一般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏と「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏の2人に聞いた。

般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏(左)と「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏
般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏(左)と「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏

SDGsではなく伝統的な知のあり方へ目を向けて-、気候変動時代の人づくり

 SDGs(持続可能な開発目標)が取り沙汰される昨今でも、気候変動問題に対する根本的な解決は未だ遠い。専門家が警鐘を鳴らしはじめて早数十年、私たちの生活や選択が変わらなかった背後にはどのような意識があったのか。行動変容のヒントはどこにあるのか。これからの新たな環境教育のかたちを実践する一般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏と「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏の2人に聞いた。(取材・構成=梅原進吾)

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酒井功雄「今日はよろしくお願いいたします。早速なんですが、いま青木さんが取り組まれているKOTOWARI(※一般社団法人KOTOWARI)というプロジェクトの原点について教えて下さい。どういったところから発想を得られたのでしょう」

青木光太郎「もともと、人間の意識や心の中の世界、意味あるいは感情と、自然や経済や科学などの外側の世界がつながっていない理由に興味があったんです。そして、大学で勉強をしていくなかで、かつてはそれらがつながっていた世界があったにもかかわらず、だんだんと溝が生まれてきたことや、その乖離が原因となって、ストレスや孤独感といった内面の問題や環境問題などの外側の問題が生まれてきたことを学びました。

 そこで、その最たる例である環境問題をテーマとして、そのようなつながりをどう築き直すかを模索したくなったんですよね。ですので、KOTOWARIは自分自身の問いの延長線上にできたプロジェクトです。だからこそ、教育するというよりも、問題意識を共にしている若者が集って、皆でこの問いを探求していきたいと考えています」

酒井「最初にKOTOWARIの話を聞いたとき、自然と社会、あるいは人間の心と社会とがつながっていないという問題意識が、自分が感じていた、不足感、違和感を言い表してくれたと思いました。ちょうど、環境アクティビストとして政策提言などをする中で『もっと深くに原因があるはずだ、ただCO2を減らせばいいわけじゃないんだろうな』と感じ、大学で『もっと歴史的で文化的な原因がある』ことに気づき始めていた頃だったんです。

 人間と自然を切り分け、自然をただのモノだと捉える西洋的な見方自体が、環境破壊を正当化する文化的な素地になっていた。そう気づいて、その対極にある、各地域に昔からあった知のあり方、違う形での自然や自身とのつながり方を学びたいと考え始めていたところでしたね」

青木「現在は、その2つの知のあり方が分離してしまっていますよね。西洋的、近代科学的な知識を中心としたアカデミックな知的活動はアメリカをはじめとした世界中の大学などで行われていて、一方のいわゆる内面についての知的活動はマインドフルネス、瞑想(めいそう)、フィーリングなどといった言葉のもとに集約されています。本来、それぞれの抱えている課題は、もう片方を見ることで解決できる可能性があるのに、越境や融合はあまり起きていないのが現状です」

酒井「たしかにそうですね。西洋哲学では矛盾が許されず、完璧が求められることが多いと思います。ところが、結局のところ現実の人間は完璧になれません。だからこそ、常に変化を続ける。気候変動であっても、正解のヴィジョンを導きだすというのは目指すべきところではないと思うんです。むしろいろんな人が対話をし続ける状態のほうが大切にされるべきです。特定の解決策を絶対視するのではなく、試行錯誤しつづけるしかない。かつての科学的なアプローチに頼りきったやり方は限界に来ていると思います。そういった認識が広まっているからこそIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)のレポートでも先住民の知恵への言及がある」

「伝統的な世界観は豊か。水にも嵐にも意味がある。そのなかで人間の営みの一つひとつにも意味が与えられている」

青木「西洋的な分析は、排出量の削減や開発すべき技術、求められる行動を特定することはできるけれど、それらのアクションへと人を誘うような、人の内部への働きかけはできない。それができるのがまさに、各地域に昔からあった知のあり方なんだと思います」

酒井「根本の問題が二元論にあるのではないかというところで話を続けると、環境運動をしている人たちが正義と悪を設定して、二元論の構図を再生産してしまうということを知人から指摘されたときにはっとしたことがありました。自分たちが問題視しているものと同じシステムトラップに陥っているんですよね。

 相手と自分のあいだに根本的にあるはずの共通性を無視して対話の可能性をなくしてしまう。相手に変化してほしいのに、相手を理解することが自分のアイデンティティの崩壊を意味する事態になってしまったりする。自分にとっては例えば、省庁や化石燃料の会社の方に対して『おっしゃっていることは分かります、そうですよね』と言えない。対立する相手への同意ができなくなってしまうことで、対話の可能性を失ってしまう」

青木「問題を問題と捉える意識そのものに内在する問題ですよね。もしかすると、その延長線上にあんまり答えはないかもしれませんね」

酒井「そうですね。どのように対立を乗り越えて、変化の形を模索すればいいんでしょう。もちろん答えはないんですけど、最近すごく考えています」

青木「先ほどから話にあがっている、先住民的なかつての知のあり方というのは、対立から生まれたものではなく、もっと生成的で、どちらかというと自然発生的に立ち上がってきた一つの世界ですよね。本来はそういうものが求められていて、何かの否定から入るべきではないはずです。全てがつながっているという発想、創造性が求められているのではないでしょうか。たとえば伝統儀式などは、全体の世界観の中ではじめてどういう意味があるかが把握できる。

 ところが、たとえば人類が生き延び続けるために地球環境を守るべきだと言われても、私自身はそこに豊かな意味が見出せません。個々人は死にたくないだろうし、将来の子供に世界を託したいという気持ちは理解できるのですが、その先に何も見えてこない。その点、伝統的な世界観は豊かです。水にも嵐にも意味があって、その意味のネットワークのなかで人間の営みの一つひとつにも意味が与えられている」

「気候変動に向き合うには先住民族的な知識を参照する必要がある」

酒井「伝統的な知のあり方などを通じてなぜ気候変動が起きたのかを探求していった先にあったのが、植民地主義でした。日本では植民地時代はもう終わったという理解が一般的だと思いますが、海外でデモに参加すると、かならず脱植民地主義という言葉が掲げられている。気候変動の根本の原因を問いつづけると、西洋文化が全世界を覆い、搾取的な自然との付き合い方と奴隷支配を広めたところにたどり着くんです。植民地主義のうちには、知識や存在についての暴力もありました。

 つまり西洋的な知識のみを認め、口伝の物語を排除する一方、自然とともにあるアニミズム的な存在をまやかしだとする動きが植民地の拡大とともに広まった。こういった背景を意識したことで、気候変動に向き合うには、先住民族的な知識を参照する必要があると考えるようになりました。本来ならば、3000年ほどのスパンで特定の土地でどううまく生きるかを蓄積した知が、どこにでもあったはずです。対立ではなく適応から生まれた知です。自分たちがどう変化できるのかという視点への転換が今求められています」

青木「私が大学で学んだ西洋哲学というのは、何が西洋的な知識であるかを確認する営みだと思うんですね。それは裏返せば、何が知識でないかを決める営みでもあるわけです。それは、境界線を引き続ける、何が正統であるかを定めるプロセスです。この営み自体は人間の持つ一つの側面でもありますよね。確かなことや本当のことを知りたいという欲求です。そこへきて、普遍的なもののみを真実としてしまうと、自分だけがそう思っているとか、一部の人たちだけ当てはまるという知のあり方は否定されてしまう。その姿勢が行き過ぎた先に現代の科学社会が存在し、その枠に入らない『自然』が外側に追いやられて来た」

酒井「物事を分けて考えることのお話がありましたが、何が知識で誰が人間であるかという線引きをはっきりと行う行為こそが、『人間だけれど人間ではない』という差別的なカテゴリーを生んできました。ザキヤ・ジャクソンは『人間になる』(未邦訳)のなかで、自然と人間のヒエラルキーと人種差別には関連がある、つまり差別する側は、差別される人間がより人間ではない、より動物や自然に近いからだと理由付けると指摘しています。

 だからこそ、人種差別を壊すためには、人間未満として扱われている人々を人間へと繰り上げるのではなくて、根本的に人間と自然のヒエラルキーを壊す必要があると述べています。先ほどの知のあり方とつながる話ですね。現代の世界を作ってきた、偉い人とそうでない人、支配者と被支配者を切り分ける発想から転換することが、気候変動、環境問題と向き合うことにつながっています。今まで抑圧されてきた人々が解放され、自分たちの未来を取り戻していくプロセスと気候変動に対するアクションが、軌を一にするという事実に希望を感じます」

青木「人間未満として扱われている人たちの地位を向上しようと言い始めると、それが正義になってしまい、対立を生んでしまうわけですよね。私としてはそれ以外の道を模索したいです。世界各地の伝統的な世界観のなかには、必ず人間を圧倒する存在があった。天候も、食料となる動物も、水も人間にはコントロールできなかったわけです。この世の全てが人知を超えたところにあるような中でおのずと湧いて出てくる、神秘や不思議、あるいは畏怖の念が人々の謙虚さへとつながっていたのではないでしょうか。

 神話や聖典であっても最初にそういう物語が出てきますよね。そこには希望も複雑性も入っているわけです。近年参照されがちな『共生』というような言葉が象徴する、美しさとか希望だけじゃなくて、伝統的な世界観には不確定で複雑なものも含まれています。ですから、実際にそれらに自分の生活や大事なものを奪われたりもします。そういった現実をまず受け入れるところから生まれてきたのが伝統的な知のあり方なのだと思います」

(続く)

□酒井功雄(さかい・いさお)2001年、東京都中野区出身。アーラム大学3年休学中。19年2月に学生たちの気候ストライキ、“Fridays For Future Tokyo”に参加。その後Fridays For Future Japanの立ち上げや、エネルギー政策に関してのキャンペーン立案に関わり、21年にはグラスゴーで開催されたCOP26に参加。気候変動のタイムリミットを示すClimate Clockを設置するプロジェクトを進め、1300万円をクラウドファンディングで集めた。現在は米国インディアナ州のリベラルアーツ大学において、平和学を専攻。Forbes Japan 世界を変える30才未満の日本人30人選出。

□青木光太郎(あおき・こうたろう)1992年、千葉県出身。翻訳家、探求者。一般社団法人KOTOWARI代表理事。米ウェズリアン大学では哲学を専攻。卒業後、投資運用会社のBlackRockに勤務。その後、東京大学で開催した公開講座や教育の本質を考察するウェブメディアの連載など、教育関連の事業を経験。インドのヒマラヤ山脈などでの数年の瞑想修行などを経て帰国。KOTOWARI会津サマースクールを主宰。

□一般社団法人KOTOWARI 福島県奥会津での宿泊型集中学習を核に、高校生や大学生を対象とした探究型の環境教育プログラムを提供。大学の研究者、海外大学の大学院生・卒業生、地域の事業者や活動家、自然の原体験といった多様な情報の源泉に触れながら、参加者は対話を中心としたリベラルアーツと深い内省を組み合わせた学びを得る。経済や環境の多層的な理解を身につけると同時に、各々の世界に対する先入観や自分に対する固定観念を取り払い、自分自身と世界、自然のつながりを築く価値観、世界観を醸成する。代表理事に青木光太郎氏、事務局長に宇野宏泰氏。また一橋大学名誉教授・野中郁次郎氏、ハーバード大学経営大学院教授・竹内弘高氏が理事を務める。今年8月17日から21日には福島県南会津町・会津山村道場にて2回目のサマースクール(https://kotowari.co/summer-school-2022/)を開催予定。

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