元スパガ・田中美麗が乗り越えた葛藤 13歳でオーディション合格も握手会は「黒歴史」
女優の田中美麗は子役を経て、13歳のときに、アイドルグループ「SUPER☆GiRLS」の1期生メンバーになった。まだ中学生だった田中にとって、アイドル活動は右も左も分からず、葛藤の連続。特に初期の握手会はファンからも「黒歴史」と言われるほど、そっけない態度を取っていた。やがて人気を獲得していくが、多感な中高生時代に青春のすべてを捧げた田中が手にしたものとは何か。舞台「コマネーア!~Call My Name Again~」(18日まで、東京・シアターグリーン)が開幕した田中に当時を振り返ってもらった。
「アイドルって何?」テンパりすぎたオーディション
女優の田中美麗は子役を経て、13歳のときに、アイドルグループ「SUPER☆GiRLS」の1期生メンバーになった。まだ中学生だった田中にとって、アイドル活動は右も左も分からず、葛藤の連続。特に初期の握手会はファンからも「黒歴史」と言われるほど、そっけない態度を取っていた。やがて人気を獲得していくが、多感な中高生時代に青春のすべてを捧げた田中が手にしたものとは何か。舞台「コマネーア!~Call My Name Again~」(18日まで、東京・シアターグリーン)が開幕した田中に当時を振り返ってもらった。(取材・構成=水沼一夫)
もともと芸能一家じゃないですけど、母は若い頃にちょっと芸能活動をしたり、妹が赤ちゃんモデルをしていました。芸能が近い存在にあったので、私もやってみたいという思いでいたときに、新宿でスカウトされました。小学校4年生のときですね。声をかけてくださったのはオスカープロモーションさんだったんですけど、当時は全然知らなくて、逆に危ない事務所と勘違いして、名刺だけいただいて事務所には行きませんでした。でも、それをきっかけにスカウトされるということはもしかしたらどこかに入れるんじゃないかと思って、オーディションを受けて、2008年にエイベックスのオーディションに受かりました。
最初はモデル志望でいたんですけど、事務所に所属することになってお芝居のレッスンや歌、ダンスと週7ぐらいの勢いで毎日学校終わりにレッスンをしていくうちに、お芝居の楽しさに気づきました。私の恩師に演技の先生がいるんですけど、その先生に「お前はモデルじゃなくて女優やったほうがいいよ」と言われて、女優志望に切り替わりましたね。「歌のお兄さん」という大野智さん主演のドラマで初めてテレビ出演をして、改めて演技の楽しさに気づいて、女優になりたいと思いながらモデルの仕事をしていました。
子役時代はそんな感じで過ごしてたら、ある日、マネジャーさんに「美麗の歌を聞きたいから、何月何日の何時にこのスタジオ来て」と言われて、よく分からないまま行ったらアイドルオーディションの会場だったんですよ。
もう女の子がすごい並んでいて…。私は聞いてないし、歌もそこで歌ってくださいって言われたんですけど、何も準備もしていなかったので、もうテンパりすぎちゃって、どうしようどうしようで(笑)。もう公言していることなんですけど、そのとき、マネジャーさんからは「会場に入って審査員を目の前にしたら、『好きな言葉は超絶です』って言って」みたいな、そういう仕込みもされて。意味も分からないまま「好きな言葉は超絶です」って自己紹介して、半信半疑で慌てながら受けたオーディションだったんですけど、そこからドンドンと受かっていって、SUPER☆GiRLSになりました。
女優とアイドルは違いますよね。3次審査、合宿審査とかあった中で、途中でやめられたと思うんです。でも、アイドルをやることによって、自分の夢に一歩近づけるんじゃないかと思って、途中からは、もう自分の目標のためにアイドルになってやるという気持ちで頑張りました。
でも、当時は13歳になったばかりぐらいです。もう「アイドルって何?」から入っていたので、マネジャーさんや周りのスタッフさんには迷惑をかけてきましたね。今だったら器用にできるんですけど、当時は不器用で葛藤もあったし、閉じこもっちゃって。デビューアルバムの撮影のときに「辞めたい」とか言い出したり、「ちょっと分からないです、アイドルが」となって…。決まったばかりでこれからっていうときに「辞めたい」ってなんだよみたいな。人気もなかったですし、自信もつけられなくて、本当に困っていました。
握手会が「黒歴史」に…沈黙の7秒間「まず目を合わせない」
人前に出るのも得意じゃなかったですね。一部の私のコアなファンの方とか、当時を知っている方の中では私の握手会は黒歴史って言われるぐらい、すごくすごく、本当、元祖塩対応を発揮していたんじゃないかぐらいにひどかったと思います。まず目を合わせない。目を合わせず、ファンの方がはがされるのを待つ、ただそれだけでした。無言の7秒間で、みんな美麗と握手するの嫌だっていうぐらい変な空気が流れちゃっていましたね。私はその握手会時代の記憶は全くないのですが、機嫌がいいときは「ありがとうございます」とだけ言うらしくて…。裏ではもうワチャワチャメンバーとふざけていたのですが、いざ握手会になるとはじめましての大人の男性とか女性に圧倒されちゃったんでしょうね。話せなくて。
握手会では(人気を測る)投票制とかあったんですけど、12人のメンバーの中で、10位から12位を行き来するぐらい最下位メンバーで、なかなかアイドルに対してのいいイメージが当時は持てなかったです。
たぶん私は女優になりたいという自分勝手な感情があったと思うんですけど、そのためにはやっぱり人気も必要だったり、いろいろあるじゃないですか。ファンの方への態度だとか。でも、そういうのは一切考えていませんでした。普通に「人気なくていいし」とか思っていた時期もありましたね。
でも、メンバーに私の1個年下の子がいて、その子がセンターで一番人気のあった子だったんですけど、「こんな年下の子でもできるんだ」と気づき始めてから、自分の中で変わっていきました。3年目ぐらいですかね。あと、今でもすごい覚えているのが、当時は帽子をかぶって、ずっと前髪を流しているキャラだったんですよ。高校生になって自分の意識を変えようと思ったときに、前髪を初めて切ったんです。そこから、今まで話してこなかったファンの方とか、その前髪を切ることによって話しかけやすくなったって言われることが増えて、会話が弾みましたね。気づいたら「すごい美麗との握手楽しい」と言ってくれる人が増えて、握手会の人数も増えていくのが自分でも実感できました。
もうびっくりするくらい反応は変わりましたね。握手会は集団でやることが多かったんですけど、個別握手会では1レーンにメンバーが1人ずつ並ぶんですよ。だからもうぱっと見、どこのレーンが一番並んでいるとか、すごいシビアな世界なんですけど、見えちゃうじゃないですか。私は本当ガラガラだったんですけど、もう意識革命してから、長蛇の列が並ぶようになって、徐々に自信を持てるようになりました。こんなに変わるんだって思ったし、感動しましたし、野心がめちゃくちゃ湧きましたね。もう目を見て自分から「ありがとうございます! どこから来たんですか?」としゃべるフォーマットも決まるぐらい、積極的になれました。
21歳のときにヘルニアが悪化してグループを卒業するまで青春のすべてを過ごしてきました。中学は修学旅行も行けなかったですし、高校も行っていないんですよ。でも、学校では味わえない社会科見学ができたじゃないですけど、普通じゃ経験できないことばかりを経験させてもらいましたし、夢を与える仕事だなっていうのはすごく肌で感じました。あと、絆って言い方は重いと思うんですけど、何かその見えないものでつながっているというか、それはもうメンバーも含めファンの方ともだと思っています。不安だったり、マイナスからこの世界に入っているので、本当に糧にはなっていますね。いろんな経験をさせてもらって、好きな女優への一歩には確実に近づけたので、アイドルをやっていて良かったなと思っています。
□田中美麗(たなか・みれい)1996年10月14日、埼玉県出身。アイドルグループ「SUPER☆GiRLS」の元メンバーとして女優、タレントとして活躍中。フジテレビ系「ファーストクラス」「ようこそ、わが家へ」出演。2018年~20年まで雑誌「JELLY」の専属モデルを務めた。趣味はカメラで、一眼レフカメラを7台所有。特技は絵を描くこと。アクセサリーブランド「MAYLE」のデザイナー兼プロデューサー。身長161センチ。
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