アントニオ猪木が人気の理由 七夕に思い出すダジャレとファンサービス精神
7月7日は七夕。天の川を見上げたいところだが、毎年、この時期は天気が不安定で、七夕の夜に晴れることは残念ながら少ないようだ。梅雨明けが早かった今年は、どうだろうか。
「安城で試合があんじょー」
7月7日は七夕。天の川を見上げたいところだが、毎年、この時期は天気が不安定で、七夕の夜に晴れることは残念ながら少ないようだ。梅雨明けが早かった今年は、どうだろうか。
七夕と言えば、願いごと。色とりどりの短冊に願いごとを書き、笹の葉に吊るす。プロレスファンの知人は高校時代、校門に設置された大きな笹竹に短冊を吊るしたところ、職員室に呼び出されたという。
丁度、期末テストの時期「成績が上がりますように」や「赤点は取りませんように」など学校ならではの願いごとの中で、その知人は「○○選手が防衛しますように」と書いたという。応援する選手のタイトルマッチが近かったからだった。
学校側から指導が入り、すったもんだの末に、しまいには親まで呼び出される大事になってしまった。親からも叱られることとなった知人は、プロレス会場で、顔見知りの選手にコボした。
「え、それはひどいね……」とさすがにファンの肩を持つ選手たち。「防衛しますように」と書かれた当の人気選手は「絶対、防衛するからね! 頑張るからね!」と、力強く両手で握手をしてくれたという。
今では考えられないことだが、昭和のプロレス会場では、開場してファンが入場した後もリングで練習を続けていた。若手選手を相手に指導も兼ねたスパーリングするベテラン、競い合うように若手選手同士が組みあっていることも多かった。
試合数が多く、地方を長期に渡ってサーキットすることも頻繁だったため、道場での練習に加えて、会場のリングが道場の代わりになっていたようだ。
思えば「こんなに鍛えているんだ」というアピールだったかも知れない。アントニオ猪木も率先して、リングに上がっていた。思わぬ猪木の勇姿を前に、たまたま居合わせたファンは大喜びだった。
その日、何やら話し込んでいるレスラーの輪に加わった猪木。1人1枚しか短冊をもらえないのに、プロレスのことを書いたと聞くと「願いごとって普通は、自分や、せいぜい家族のことだよな。それなのに好きな選手の防衛を願ってくれるなんて、うれしいねぇ。ファンはありがたいね。俺たちももっと頑張るよ」と、気さくに笑った。何事にもサービス精神旺盛な猪木は、放っておけなかったのだろう。
「夏には地方巡業などもたくさんあるから忙しいんだよ。『七夕』ではなく『バタバタ』だね。フフッ」。当時も今もお得意のダジャレまで披露し、その場が一気になごんだ。
「今度(愛知県)安城で試合があんじょー(あるぞー)」
追加のダジャレには大爆笑が巻き起こった。
ちなみに知人は怒られても構わないと、翌年もまた同様の願いごとを書いたそうだが、先生もあきらめたのか、もう注意はされなかったという。
今も昔もダジャレで場をなごましていた猪木。現在の体調には波があり心配は尽きないが、回復することを願ってやまない。
猪木の言葉に感激し、以降も長らくプロレスを見続けて来た知人。今年の短冊には「猪木さんが元気になりますように」と、書くのではないだろうか。
みなさんの願い事はどんなことだろうか。星に届きますように☆