エド・はるみ、40歳過ぎで飛び込んだお笑い 理不尽に苦しみ決意した慶応大大学院の道
2008年に「グ~!」のギャグでブレークしたエド・はるみは今、慶応大大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科で研究員として席を置きながら、マラソンやトライアスロン、格闘技、絵画、ゲーム開発、落語とマルチな才能を開花させ活動している。17歳で芸能界に飛び込んだ少女はどのような人生を歩み、今何を目指しているのか。年々新たな挑戦を続けるエドに活力の源を聞いた。
2008年に「グ~!」のギャグでブレーク
2008年に「グ~!」のギャグでブレークしたエド・はるみは今、慶応大大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科で研究員として席を置きながら、マラソンやトライアスロン、格闘技、絵画、ゲーム開発、落語とマルチな才能を開花させ活動している。17歳で芸能界に飛び込んだ少女はどのような人生を歩み、今何を目指しているのか。年々新たな挑戦を続けるエドに活力の源を聞いた。
初めて映画のオーディションに合格したのは17歳のとき。大学までは学業優先でしたが、卒業後は劇団に入ってずっとお芝居を続けてきました。幼少期から人前に立つことが好きで、小学校1年生のときには全校生徒の前で一人芝居をしたこともあったんですよ。「トンカチで指を打ったらこんなんなっちゃった!」と粘土で覆った腫れた親指を見せたらすごいウケて、今思えばあれが「グ~!」の原型だったのかもしれません(笑)。
吉本の養成所に入ったのは40歳を過ぎた頃。20数年、映像の仕事のほか、自分で一人芝居の舞台を立ち上げて諦めずに新劇の世界一筋でやってきましたが、あるとき、お客さんは本当に芝居を楽しんでいるのだろうかと初めて思ったんです。その点、笑いはお客さんの反応がダイレクトに伝わってくる。人を笑わせるのが好きだった子ども時代の原点に戻ろう、と思いました。
とはいえ、40歳を過ぎてから若い人たちばかりの吉本の養成所に願書を出す勇気、決断がなかなかできずにいたんです。けれど唯一、同じ役者同士で知り合った今の夫に相談したとき「今行かないと、また去年と同じ1年だよ」と言われて、腹が決まったんです。そして、これが本当に人生最後の賭けだと、すべての仕事を辞め、当時お付き合いしていたその夫とも別れて、すべてを養成所での1年に賭けたんです。そして、やがて英単語をひとつずつオーバーリアクションにしていくというネタを少しずつブラッシュアップしていき、4年かかって完成したのが「グ~!」のネタ。虫メガネのようにすべてを一点に集中させれば火が着くんだと思いましたね。そしてブレーク後に夫から連絡があって、かに道楽でプロポーズされました(笑)。
世の中のことを見つめ直そうと慶応大大学院へ
大学院に進んだのは、俯瞰というか、世の中のことを見つめ直そうと思ったから。お笑いをやっていたときは、うそばかりの理不尽な思いで本当に苦しかった。ですが、軸足を大学院に移したことで、再び息ができるようになりました。私が取り組んでいるネガポジ反転(R)は、人が落ち込んだところからV字回復をするための実践的な手法の研究です。たとえば「明日から毎日10キロ歩こう」と頭で思っても、それを実践し続けられる人は少ないですよね。「頭で分かること」と、それが「できる」ことの間には乖離がある。なので、その橋渡しをしたり、弱っているときにそこから抜け出す手法を提案する研究をしています。
マラソンは「いつか24時間テレビで走りたい」と吉本に入る前からの夢があって1人で勝手に毎日10キロ走っていました。トライアスロンはさらに過酷で、マラソンをして、自転車をこぎ、海を泳ぐという競技です。無理ですよね。大体、海を泳ぐなんて怖すぎます。でも「じゃあ怖いからって諦めるんかい?」と言う自分の声が聞こえてくる。「いや逃げちゃいけない!」そう思って泳ぎを習い、完走しました。格闘技は、人間最後は理屈じゃなく“力技”。それが現実だと知ってから、それを行使するしないは別として、そうした強さも持っていたいと思い、極真空手、ゼロレンジ・コンバット、キックボクシングなどをやっています。
人間、頭の中だけで解決しようせず、まずは動いてみる。そして動きながら感じて、考える。例えば、今回のカードゲームの開発も「動いた」結果です。その他にも絵を描く、声に出す、形にするなどアートも絡めた動き、またそれを伝えて行く活動をしていきたい。私は、「つなぐ」という言葉を軸として「つなグ~!」じゃないですけど(笑)、思っているだけでは伝わらない、その思いをつなぐ、形につなぐ、世界につなぐことを目指して、どんどん動いていきたいですね。
■エド・はるみ(えど・はるみ)吉本興業所属。明治大学卒業。慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。17歳で映画デビュー。女優として舞台やドラマ、映画、CM等で活動を続け、05年に笑いの道に転じ吉本興業の養成所東京校に入学し、06年卒業と同時にTV「エンタの神様」などに出演。08年「さんまのまんま」で「グ~!」のギャグで注目され、同年に流行語大賞を受賞。「24時間テレビ」のランナーとして当時歴代最長の113キロを完走した。16年、前述の大学院に合格し入学。ネガポジ反転(R)について研究し、18年3月には修士号を授与された。その研究成果として著書「ネガポジ反転で人生が楽になる」を上梓。19年には「第104回二科展」で初出品ながら絵画部門で初入選。そのほか落語で初舞台、ホノルルでトライアスロン完走。慶應の大学院で約2年を掛け独自に開発し、20年のコンペティションで賞を受賞したカードゲーム「シンパサイズ」(https://sympathize.stores.jp/)が6月28日から発売されている。