瀬戸内寂聴さんを変えた“66歳差”秘書の存在 瀬尾まなほさんに訪れた予想外の転機
昨年11月に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書を務めた瀬尾まなほさん。2013年から秘書として活動し、22年1月には、瀬戸内さんとの日々をつづった著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社)を出版した。現在もさまざまなメディアで瀬戸内さんの秘書として活動する瀬尾さんに、瀬戸内さんとの思い出や、秘書としての歩みを振り返ってもらった。
瀬戸内さんの作品にも好影響が及ぶ
昨年11月に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書を務めた瀬尾まなほさん。2013年から秘書として活動し、22年1月には、瀬戸内さんとの日々をつづった著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社)を出版した。現在もさまざまなメディアで瀬戸内さんの秘書として活動する瀬尾さんに、瀬戸内さんとの思い出や、秘書としての歩みを振り返ってもらった。(取材・文=猪俣創平)
瀬尾さんは、大学卒業とともに瀬戸内さんの自宅兼事務所である寂庵に就職した。しかし、就職活動では明確な将来像は描いていなかった。「自分自身がこうなりたい、こういう会社に入りたいというものが全くなかったんですね」と、当時を振り返った。
高校時代の友人がアルバイトをしていたお茶屋さんの常連客が瀬戸内さんだった。瀬戸内さんが、女将に若いスタッフがほしいと相談していたことから、友人の勧めもあり面接を受けることになった。
当時の瀬尾さんは、瀬戸内さんについて「名前は聞いたことがある」程度のイメージしかなかった。「私でも知っている人なんだからすごい人なんだと思っていました。それまで就職先も決まっていなかったし、実際に何をするかも分かっていなかったんですけど、わらにもすがる思いで、瀬戸内の面接を受けて、就職が決まりました」。
就職した当初は他の先輩スタッフもいることから、秘書のような仕事はしていなかった。瀬戸内さんの本の在庫管理や、当時寂庵で発行していた「寂庵だより」の読者管理など、事務仕事が中心だった。
それから2年後、転機が訪れた。瀬尾さんを除く寂庵のスタッフが全員退職する運びとなったのだ。
「私が瀬戸内と初めて会ったのは、88歳のときだったんですけど、そのころのスタッフ5名は、皆さん何十年と寂庵で働いてきた方々でした。5人のスタッフを雇い続けるために、90歳を超える瀬戸内にすごく負担がかかっているんじゃないかという話になりました。お寺(寂庵)ではお金もうけは全くしていないので、私たちの給料は瀬戸内の原稿料というペン1本で養われていたんですね。瀬戸内もよく『あなたたちの給料を払わなきゃいけないから、頑張ってもうちょっと仕事しなきゃ』と言っていたらしくて、ベテランのスタッフの方々が『これ以上先生に負担になるのはよくないから』ということで辞めることになったんです」
その結果、就職したばかりの瀬尾さんが、瀬戸内さんの身の回りの世話をすべて託されることとなった。「『先生のこと、よろしく頼むね』と言われて、私だけ残って、他の皆さんが辞められました」。秘書を務めるにあたって、当初は不安とプレッシャーに押しつぶされそうになった。
「最初は瀬戸内寂聴という名前しか知らなかった私が、寂庵に入って2年過ごすことで、『やっぱりすごい人なんだ』と、日本における瀬戸内の存在がよく分かってきていたので、その当時25歳だったんですけど、若造がこんなすごい人の秘書をやっていいのか、という不安がすごくありましたね」
それまでは事務仕事が中心でもあり、ベテランスタッフに頼って仕事をしていた部分もあった。突如として訪れた使命に、「プレッシャーから、1人でお風呂の中で泣いていたこともあったんです」と振り返る。そんな不安を解消してくれたのは、父親の言葉だった。
「『先生は、まなほに完璧を求めていないと思うよ。まなほが完璧にできるとは思っていないけど、まなほが秘書でいいと思っているんだから。死ぬわけじゃないんだから、やってごらん』と言われて、誰も私が完璧にできるわけないと思っているんだと、多少気が楽になりました」
瀬尾さんだけでなく、瀬戸内さんも心境に変化があった。ベテランスタッフが辞めるという話が出た初めの頃は、瀬戸内さんも辞めるのを引き止めていたが、「みんながいなくなったらどうなるんだろう?」と、新しい生活への好奇心が強くなっていったという。そんな瀬戸内さんの様子を見た瀬尾さんも、「私ができませんと言ってしまったら、瀬戸内が変わっていこうという気持ちを止めてしまうことになると思いました。私も腹をくくって秘書をやろうと、瀬戸内と2人で決めました」。こうして、瀬尾さんの、瀬戸内さんの秘書としての歩みがスタートした。
「先生と秘書」の特別な関係性
秘書としての仕事は、瀬戸内さんの身の回りの世話から講演で全国を飛び回る手配など、多岐にわたった。頑張りすぎたあまり、瀬戸内さんと2人並んで点滴を打ってもらうこともあった。そんな生活から、「2人で密な時間を過ごしていくうちに、距離がグッと近づきました」。
長年公私を共に過ごしてきた瀬戸内さんとの関係について聞いた。
「よく聞かれる質問なんですけど、一度も瀬戸内をおばあちゃんと思ったこともないし、友達と思ったこともないし、お母さんと思ったこともないんですよ。私にとっては先生は唯一無二の先生で、『先生と秘書』という関係なんですね、私の中では。それは、雇っている人と雇われている人とかではなく、文字通り、先生と秘書なんです。
でも、瀬戸内が同じような質問に『親友みたいな感じ』と答えていたことがありました。瀬戸内が私のことをどう思っていたのか分からないですけど、私にとっては尊敬できる人でもあるし、自分が守りたいと思う人でもあるし、時に自分の方が年上なんじゃないかと思う瞬間があったりと、やっぱり自分がこの人を支えたいって思う人でした。だから、ただただ敬うだけじゃなくって、おかしいことはおかしいと言いたいし、ちょっとこれはどうなのと思うことはハッキリと言ったりする、不思議な関係でしたね」
「先生と秘書」という関係について、外からはどのように見えていたのだろうか。瀬尾さんの著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社)をはじめ、瀬戸内さんの本も担当していた編集者は、「掛け合い漫才のようでした」と表現する。
「先生(瀬戸内さん)はいつも面白いことを言ってくださって、私たち編集者はそれを聞いて笑っているって感じだったんですね。でも、瀬尾さんが隣にいると、『先生そうじゃないでしょ』ってツッコミを入れている。瀬戸内さんにツッコミを入れられる人ってあまりいなかったと思います」
編集者は、瀬尾さんの存在によって瀬戸内さんにも変化が起きていたと感じていた。「『死に支度』という小説の中でも、瀬尾さんが秘書になってからのドタバタの日々の中で、マツエクを初めて知ったとか、今の女の子はこういう下着を着ているのかとか、そういう発見が瀬戸内さんの小説を楽しく、ユーモアが弾けるようになっていきました」。
また、瀬戸内さんは、瀬尾さんのすすめで96歳でインスタグラムを始めるなど、新しいことにも挑戦していた。編集者は「瀬尾さんとの関係によって、先生はもう一度新たに生き直されたという気がしました。人生まだまだやりたいことがあるし、世の中も面白いし、若い子たちはこんなふうに考えているんだということが伝わって、もっと書きたい気持ちが湧き上がってきたのではないかと思いました」と振り返った。
20年11月に瀬戸内さんが逝去したが、今後について瀬尾さんは「そのときそのときの出会いや環境によって、自分が思ってもない道に進んでいくという思いをしてきたので、計画を立ててはいないんですけど、瀬戸内寂聴の秘書として、話す機会や書く機会をいただける限り、それに応えていければと思います」と語る。
瀬戸内さんとの出会いから、思いもしなかった人生を歩んできた瀬尾さん。これからも一つ一つの“縁”を大切にしながら、秘書としての歩みを続けていく。
□瀬尾まなほ、1988年、兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学科卒。卒業と同時に寂庵に就職。2013年から瀬戸内寂聴の秘書を務める。2017年より共同通信社配信の連載「まなほの寂聴日記」を開始。著書に「寂聴さんに教わったこと」(講談社)などがある。