【花田優一コラム】父・貴乃花から突然の電話 数年ぶりに直接聞いた声、花田優一の魂が震えた瞬間
靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第9回は、父とのこと。
数年ぶりに「父の日」にショートメール 返信を何度も眺めた「これで良いのだ」
靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第9回は、父とのこと。
5月8日、私はこのコラムで母の日のことを書いた。その文章の最後を、このように締めたのである、「2022年6月19日、この日もまた、私の心を刺激するのだろう。」26歳にもなって、父の日をああだこうだと語るのは、子供っぽいのかもしれないが、僕自身、それでも良いと開き直っている。大人になろうとも、僕にとっては、重い意味を持つ1日なのである。
世界各国にそれぞれ父へ感謝する日は存在するが、日本は「母の日」同様アメリカから普及したそうだ。
約100年前、6人の幼い子供を持つ、南北戦争に出兵していた退役軍人の父親がいた。彼の妻は、戦時中の疲労が原因で亡くなってしまい、彼は6人の子供たちを男手一つで育てなくてはならなくなった。
戦後の混乱の時代、現代では想像を絶する苦労だったのだろう、彼は子供達が全員成人したのを見届けて、役目を終えたように彼はこの世を去ったのである。その娘が、母の日同様、父へ感謝する日を作ってほしいと牧師協会に説得したことで、6月の第3日曜日が「父の日」として知れ渡っていったのだ。
僕は幼い頃、貯金箱に詰め込んだお小遣いを、ビニールのお財布に3千円だけ詰め込んで、目黒駅にあったH M Vに父の日のプレゼントを買いに行くのが楽しみだった。父はいつも家では映画を見ていたので、幼い僕のプレゼントの選択肢は、D V D一択だったのである。
新作のマフィア映画か任侠映画を探しに行き、レジに持って行くと、毎回店員さんに不審な顔をされたのを思い出す。
家に帰って手紙と共に渡したところで
「おう、ありがとう。」
と一言いわれるだけだったが、ほっと顔が綻んだのを見られるだけで、息子としての承認欲求は少しだけ埋まったのである。
数週間前、Amazonの配達員からの電話だと思って携帯を取ると、それは父だった。気が抜けて電話をとったことも相まって、この世の何よりものサプライズは、脊髄が抜けそうなほどの衝撃と、数年ぶりに直接聞く父の声は、僕の魂を震わせた。どんな内容を話したか、どんな感情だったか、それは心の中にしまっておきたい。
父の日、恥ずかしさを振り切って、それもまた数年ぶりに、ショートメールで愛を伝えてみた。
その返信の内容は何も喜ばしいものではなかったが、返信が来たという事実を、僕は何度も眺めた。
これで良いのだ。僕は諦めない。来年の父の日にも、少しでも近づいているように進んでいこうと思う。