若き日の藤波辰爾を襲った“コーラ事件” 今でも忘れない英国の聖戦士の絶叫

蒸し暑い日々が続いている。日本の夏と言えば、コーラのおいしい季節。夏に飲むキンキンに冷えたコーラの爽快感は格別だ。コーラを手にすると思い出すことがある。

IWGPのレプリカベルトを手にした藤波辰爾【写真:柴田惣一】
IWGPのレプリカベルトを手にした藤波辰爾【写真:柴田惣一】

事務所にはビンのコーラが常備されていた

 蒸し暑い日々が続いている。日本の夏と言えば、コーラのおいしい季節。夏に飲むキンキンに冷えたコーラの爽快感は格別だ。コーラを手にすると思い出すことがある。

 新日本プロレスの事務所が、まだ東京・南青山にあった昭和の時代。当時大変な人気だった藤波辰巳(現・辰爾)は、ごく近所に住んでいた。歩いて5分とかからないマンションで、事務所にはちょくちょく顔を出していた。

 事務所には藤波用に常に大好物のビンのコーラが冷やされていた。その一方で、同じ炭酸飲料でもドクターペッパーは大の苦手としていた。「あれはジュースじゃないよ。薬だよ。薬の味だよ!」と言い張っていた。とにかく当時は大のコーラ党だった。

 藤波用のコーラは、来客には出せない。ところがそれを承知の上で面白がって「コーラ、ちょうだい」という来客もいた。興行を仕切ってくれるプロモーターとあって、邪険にはできない。スタッフも笑いながら「500円です」と応じていた。

 当時の500円はちょっとした金額。今だと1000円か1500円か、とにかく500円のコーラというのは破格の高値ということになる。

 藤波が来社したある日のこと。冷やしてあったコーラを来客が、ひとビン500円を払い全部飲んでしまっていた。真夏のそれはそれは暑い日だった。

 近所とはいえ汗をかき事務所にやって来た藤波。だがコーラはなかった。あの時のショックな顔は今でも忘れられない。今のようにコンビニもない時代。あまりの落胆ぶりに、かわいそうに思ったのか、コーラを飲んでしまったプロモーターが、遠くの自動販売機まで買いに行った。

 しばらくして事務所に電話が入った。「コーラが売り切れだよ! ドクターペッパーならあるけどね」「えええええ~~~~~!」と絶叫に近い藤波の叫び。「じゃあスプライトにして下さい」。

 抱えきれないほどのスプライトを持ってプロモーターは帰ってきた。コーラではないので満面の笑みではないが、それでもうれしそうに藤波はスプライトを飲んでいた。

 後日、試合前の会場で“英国の聖戦士”トニー・セントクレアーが「フジナミも飲むかい?」と、コーラを購入しようとしたのだが売り切れ。代わりにドクターペッパーに手を伸ばしたが、藤波は血相を変え「ノー! ノー! ノー!」と言いながら、電光石火の早業でスプライトのボタンを押した。

 ガラン! スプライトが出てきた。セントクレア―はコーラではないから炭酸飲料だとは、思わなかったようだ。気を利かせて、藤波に手渡す前に、勢いよく缶を振って開けてしまった。

 あ! ダメ! と止める間もなく、一気に泡が噴き出した。「ノー!」いつもは冷静沈着なセントクレア―の絶叫が体育館に響き渡った。「……」。スプライトのシュワシュワな水分が、服にも顔にもかかってしまったセントクレア―。あの光景は今でも忘れられない。

 そういえば事務所ビル1階の喫茶店「MIO」で、おいしかったサバのみそ煮定食に、なぜかドリンクはコーラを選んでいた自分の姿も鮮やかによみがえってきた。

次のページへ (2/2) 【写真】スタン・ハンセンと笑顔で握手する藤波辰爾
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