田原俊彦、40年以上貫き続ける生き方とは 長女・可南子さんと共演NGの真相も明かす
歌手の田原俊彦が通算78枚目となるシングル「ロマンティストでいいじゃない」を完成させた。61歳となったトシちゃんのダンディーな一面を余すところなく堪能できるゴージャスな1曲。そこで今回は43年のキャリアを振り返ってもらいながらエンターテイナーとしてのこだわりや知られざる家族への思い、そして生涯「THEアイドル」として貫く姿勢について聞いた。
田原俊彦という生き方を絶対に裏切らない
歌手の田原俊彦が通算78枚目となるシングル「ロマンティストでいいじゃない」を完成させた。61歳となったトシちゃんのダンディーな一面を余すところなく堪能できるゴージャスな1曲。そこで今回は43年のキャリアを振り返ってもらいながらエンターテイナーとしてのこだわりや知られざる家族への思い、そして生涯「THEアイドル」として貫く姿勢について聞いた。(取材・文=福嶋剛)
――新曲「ロマンティストでいいじゃない」は、そのゴージャスな曲の裏側にある「THEアイドル・田原俊彦」の今も見えてくるようなそんな印象を受けました。
「すごく品がいいでしょ(笑)。今回は本当にブロードウェイ・ジャズみたいな懐かしい曲調だし、とっても分かりやすい曲ができたと思う。CDジャケットのイメージはフランク・シナトラだけど曲のイメージはフレッド・アステアとかジム・ケリーとか往年のアメリカのスターをイメージしたんだ。タップダンスも30年ぶりに挑戦したんだけど、足がつったよ(笑)」
――まさに「ダンディズム」という言葉がぴったりな曲ですが、ずばりご本人が考える田原俊彦のダンディズムとは?
「なんだろう? エロしかないからなあ。“エロダンディズム”」
――色気ですか(笑)。
「最近思うんだけど、僕は田原俊彦が本気で好きなんですよ。でもそれって自己満足とかナルシズム的な意味合いとは全然違ってね。70年代後半にこの世界に入ってきて、たまたま当たってこのポジションを与えてもらって、もちろん今も『THEアイドル田原俊彦』を確立している途中ではあるんだけど、自分は本気で田原俊彦が好きなんだなってようやく気が付いたんです。相手を好きになるってことはその相手に最後まで責任を持たなきゃいけないし、中途半端じゃいけないんですよ。だから誰よりも自分自身を信じなくてはいけないしね」
――好きだからこそ今も続けていられると?
「でもね、そのためには田原俊彦を応援してくれるファンがいなくちゃ続けられない。僕はファンが応援してくれるから活動を続けていられるし、ステージにも立たせてもらっている。つまり田原俊彦が好きだっていうことは、イコール・ファンが好きだっていうことなんですよ。やっぱりずっと自分を支えてきてくれたファンを絶対に裏切ることはできないし、ファンの前では常に『THEアイドル』の田原俊彦であり続けたいって思っています」
――その一方で「THEアイドル」がいつまで続けられるかという怖さを感じたりすることは?
「やっぱりありますよ。そういう怖さとかリスクはいつも感じながらやっています。これから65歳とか70歳という景色が田原俊彦として見れるのかなっていう不安は多少あります。だけど僕は本当に楽天家で“ケセラセラ男”だから(笑)。『なるようになるさ』がモットーなんです。重圧もすごいけど、歩き続けてりゃなんとかなるさって」
――デビュー前からスターを目指していたんですか?
「子どもの頃、沢田研二さんに憧れてテレビを見ながら『かっこいいな! すげえスターだな』って。『もしかしたら自分も芸能人になれるかもしれない』っていう根拠のない自信があったんだ。それで自らレッスンに通い始めてね。そういう熱いエネルギーとか攻撃性みたいなのは昔から誰よりも強かったと思う。
もちろん時代の流れや運もあったし、ジャニー喜多川さんという偉大な人物との出会いなしでは語れないけれど、『THEアイドル』として80年代の先陣を切ってスターというポジションをつかめたんだ。まさか子どもの頃に憧れていた沢田研二さんと同じ場所に立てるとは思ってなかったからね」
――先ほどおっしゃっていたファンを裏切らないアイドルとして、ファンのためにもプライベートを一切見せないという姿勢を貫いてきたのかなという印象です。振り返ってみていかがでした?
「そういう男なんですよ。今もそうだけど自分のプライベートを見せるのが嫌いでね。当時って婚約記者会見を開いたり、結婚式をテレビで放送したりするのが当たり前の時代で有名になったらそうしなきゃいけないみたいな空気が嫌でしたね。僕は絶対にNOだったから、ずっとマスコミに追いかけられてね。だから当時はマスコミが嫌いでした」
僕は田原俊彦だから愛する家族であっても公には見せたくない
――週刊誌にプライベートを追いかけられて、特に最初のお子さんが生まれたときは大変だったそうですね。
「良くも悪くも1番目立っていた“ビッグ”だったからね(笑)。今の時代ならたいしたことないんだろうけど、そういう時代だったから仕方がないよ。大げさじゃなくて家に毎日50人ぐらいの人が張っていて、やりたい放題だったから。家族はもちろん、ご近所にも迷惑をかけっ放しだったから、これ以上黙っていたら家族としての生活ができなくなるところまで追い詰められたんだ。それで会見を開いたんだけど、その後も娘たちが家に帰ってくるところに張っていたりするから家族を守るために僕は家を離れたんだ」
――ちなみに2人のお嬢さんのお名前はトシちゃんが付けたんですか?
「もちろん僕だよ。名前に関する本を3冊位買ってきてね。画数だったりいろいろと調べて付けたんだよ(笑)」
――現在、長女の可南子さんは芸能活動をされています。
「僕は完全にノータッチなんです。娘とは一切関わらないって決めているんです」
――最初にタレント活動をしたいという相談を受けたとき、反対されたんですか?
「反対はしなかったです。20歳を過ぎているんだから自分で結論を出して自分で責任を持って生きていくのが大人ですからね。彼女の決断ですし1人の人間として歩んでいけばいいって。ただし僕は一切の協力をしませんよと」
――とても厳格に見えますが、一方で「THEアイドル」の田原俊彦を貫くという姿勢でもあるのでしょうか?
「もちろん家族ですから愛してはいます。だけど僕自身は公にはそういう姿を見せるべきものじゃないと今でも思っているんでね」
――ありがとうございます。それでは、あらためて43年の活動を振り返って大切にしてきたことは何でしょう?
「うそをつかないってことですかね。うそをつかずにやってきたし、やっぱり田原俊彦っていう役割をもらって本当に自分のやりたい仕事でそれを職業にしてそれを40年以上変わらずに続けてきた。本当に僕は自由でわがまま“ゴーイング・マイ・ウェイ”な男なんですよ。(スタッフを指差して)だからこの人たちも大変なんだ(笑)」
――(全員爆笑)
「田原俊彦は面倒くさい男、気難しい男だってマスコミにもそう思われてきたんだけど、それを10年、20年、30年、そして40年とやり続けたら『この人変わらないね。根性あるよね』ってみんなが認めてくれた。そこじゃないかな? やっぱりそれがダンディズムじゃない?」
――♪私の道を生きてきた♪ フランク・シナトラの「マイウェイ」ですね。
「やっぱり自分の信じた道をそれだけの時間をかけて自分の足で一歩一歩確実に歩んでいく。1年1年の歴史、1年1年の挑戦とか。『継続は力なり』でしょうね。でも『もうギブアップ』とか『もう疲れた』って思ったことが40年以上やってきて1度もなかったんです。むしろ『来年はこんなふうに攻めてみよう』、『ちょっと新しくて面白いことに挑戦してみよう』って好奇心がどんどん湧いてきて枯渇しない。だから本当にうちのスタッフやディレクターは大変なんですよ。(向かいのディレクターに)そうだよね?」
――ディレクターさんが大きくタテに首を振りました(笑)。つまり「THEアイドル・田原俊彦」は、たとえこの先、踊れなくなったとしてもステージで倒れるその日までは立ち続けると?
「そういうことです。沢田研二さんだって70歳を超えても今もお元気にステージに立ち続けているじゃないですか。僕はたとえ足が上がらなくなっても、踊れなくなっても昔とは違う今の田原俊彦を魅せられる自信がありますから。いつまでもみんなのトシちゃんでいたいし、新曲でもどんなふうに今の自分を魅せられるか。これが当面の僕のテーマです」
――そして、また来年は今年とはまったく違うトシちゃんが見られるわけですね?
「いい意味で裏切りますから。(スタッフに)また大変になるぞ(笑)」
□田原俊彦(タハラ・トシヒコ)1961年2月28日、山梨県出身。79年にドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)の沢村正治役でデビュー。近藤真彦、野村義男と共に"たのきんトリオ"と呼ばれ、一躍人気アイドルに。80年の歌手デビュー作「哀愁でいと」は75万枚の大ヒットとなる。以後、「ハッとして!Good」、「抱きしめてTONIGHT」などのヒット曲を飛ばし、オリコンチャート1位獲得12回、ベスト10ランクイン38曲という快挙を達成。また、ドラマ「ラジオびんびん物語」、「教師びんびん物語」などの「びんびん物語」シリーズでも人気を博した。2022年6月、通算78枚目のシングル「ロマンティストでいいじゃない」を発売。7月より全国ツアーを開催。
田原俊彦公式HP:https://toshihikotahara.com/
ユニバーサルミュージックHP:https://www.universal-music.co.jp/tahara-toshihiko/