セイン・カミュ、知的障がいの妹を世話した過去「個性の範囲だと思う事が大事」
外国人タレントのセイン・カミュは現在、YouTubeやナレーション等で活動を続ける傍ら、一般社団法人「障がい者自立推進機構」の理事として障がい者の支援活動(パラリンアート)に力を入れている。家族を含めると3人に1人が障がい者と接しているともいわれる時代、支援や子育てとどう向き合っていけばいいのか。知的障がいの妹を持ち、3児の父でもあるセインに聞いた。
一般社団法人「障がい者自立推進機構」の理事としてパラリンアートに力を入れている
外国人タレントのセイン・カミュは現在、YouTubeやナレーション等で活動を続ける傍ら、一般社団法人「障がい者自立推進機構」の理事として障がい者の支援活動(パラリンアート)に力を入れている。家族を含めると3人に1人が障がい者と接しているともいわれる時代、支援や子育てとどう向き合っていけばいいのか。知的障がいの妹を持ち、3児の父でもあるセインに聞いた。(取材・構成=佐藤佑輔)
僕が日本に来たのが6歳のときで、その後に生まれた7歳下の妹が知的障がいでした。両親が共働きだったので、僕がいつも送り迎えをしたり、面倒を見ることが多かった。子どもの頃は言葉がうまくしゃべれなかったり、コミュニケーションを取るのも難しかったですね。学校が早く終わった日は友達の家で面倒を見てもらってたんですが、たまに漏らして迷惑をかけてしまったり、妹の世話があるから友達と遊べなかったりで、当時思春期の兄として正直“うざいな”と思うこともあった。それでも妹なので嫌いになったりはしませんよ。昔も今も仲の良いきょうだいだと思います。
障がい者って、表からは見えにくいだけで実はすごく多いんです。日本では960万人くらいいて、その家族も含めると約4000万人。だいたい3人に1人は、自分や家族などごく身近なところに障がい者がいる計算になります。障がいの種類も身体障がい、精神障がい、知的障がいなどさまざまで、発達障がいなどなかなか認定が下りないケースも合わせるともっと多い。そんなに身近な存在なのに、日本では障がいに触れたり明かしたりするのがタブーという考え方があるから、なかなか実態が見えてこない。最近少しずつその認識も変わってきてて、「実はうちもそうなの」「どうやってる?」と言いやすくなったり、情報交換がしやすくなってきてるのはいいことだと思います。
妹は現在、「JCI」という名前で障がい者アーティストとして活動
諸外国と比べて、日本は保障や制度はすごく行き届いている反面、一人ひとりの意識はまだまだ遅れていると感じます。海外では障がい者手帳のない国もあり、車いすのためのノンステップバスも普及していませんが、そのぶん周りが「せーの」で助け合う意識がある。車いすに限らず、ベビーカーでもそう。駅で困ってるお母さんに手を貸すと、すごくびっくりされるけど、大抵は感謝されますよ。
僕は日本に来る前に親の仕事で中東やアジアを転々としていて、いろんな文化や宗教の違い、差別もたくさん目にしました。レバノンにもエジプトにも外国人は当たり前にいて、自分が外国人だと感じることはありませんでした。6歳で日本に来たときは「日本人だらけだ!」と思いましたし、「あ! ガイジンだ!」と言われたのもびっくりしました(笑)。
外国人も障がい者も、よく知らないから怖い、どう関わっていいか分からないという意識があるんだと思います。そんなに構えずに試しに一声かけてみれば、案外簡単に分かり合えるということも多い。障がい者にも健常者にもいろんな人がいて、みんなバラバラ。個性の範囲だと思う事が大事です。僕は早くして親になったけど、子育ても同じ。我が子を一人の人間として認めてあげて、他の子と比べないことが一番です。うちの子はまだしゃべらない、まだ歩かないと心配になっても、だいたいがドングリの背比べ。個性の範囲と思って、気にしすぎないことが大事だと思います。
妹は今、「JCI」という名前で障がい者アーティストとして活動しています。僕自身も、妹の世話をしていたので子育てに苦労は感じなかったです。神様はそれを乗り越えられる人にしか障害を与えません。大きな希望を持って生まれてきたことを忘れないでください。
□セイン・カミュ(せいん・かみゅ) 1970年11月27日、アメリカ・ニューヨーク州出身。母が日本人男性と再婚したことをきっかけに、6歳で来日。横浜のインターナショナルスクール卒業後、ニューヨークの大学に進学するも退学。91年から日本で芸能活動を開始する。02年、日本人女性と結婚。04年に当時の所属事務所を退所、一時露出が減るも現在はテレビやYouTubeなど幅広く活動を行う。