ハイエース不調、サハラ砂漠での絶望の2週間 TVで放送されなかった過酷すぎる脱出劇
元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の4回目。
トヨタの提供車に仰天「サハラ砂漠行くのに4WDじゃなくて2WD」
元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の4回目。(取材・構成=水沼一夫)
TBSの朝の番組「おはよう700」(おはようセブンオーオー)番組内のコーナー「キャラバンII」のドライバーとして、アラスカからコロンビアのボゴダまで4万キロを走っていた俺は、テレビの次の企画で途中離脱し、1977年、アフリカのサハラ砂漠縦断を目指す番組に参加した。
これも「キャラバンII」と同じで、トヨタがスポンサーだったんだけど、出してくれた車はなんと、マークIIのハードトップ。それからハイエースの新型ですよね。機材をいっぱい積めるからというのが理由なんだけど、両方とも2駆。サハラ砂漠行くのに4WDじゃなくて2WD。それで行けってわけよ。北南米縦断で使った前回のクラウンはすごい調子よくて、ほとんど壊れなかったんだけど、このときは本当に宣伝のための選択は“プロの世界”と思いましたね(笑)
一緒に行くチーフにルートを聞いたら、「純ちゃん、ここ、サハラでもメインルートでね。トラックも行ってるから大丈夫だよ。野宿しながら3日かな」とか言っちゃってさ。とにかく、お気軽で。スタッフはそのときも1号車、2号車で7人。嫌な予感しかしなかったんだけど、フランスパンのバゲット10本買って、水もそれなりに持って、買ってくれたペラペラの毛布を積んで、コートジボワールのアイボリーコーストを出発したんだよ。
そしたら、ニジェールの砂漠が始まるところで舗装道路がなくなったとたん、ハイエースが砂漠に潜ってね。なんと抜けるまでに2週間かかった。
初めてひもじい思いもしたし、パンなんてもう2日3日でもうカチカチになっちゃうじゃん。フランスパンなんかそれじゃなくても硬いのにさ。それをハンマーで砕いて、みそ汁でパンがゆにしたり、袋のラーメン2袋を7人で分けたり、とにかく食事も想定外なことだらけ。ようかん1個を7等分にしたときは、本当に難しくてね…もう珍道中だよ。
しかも途中でクラッチがバラバラになっちゃって、ハイエースが完全に駄目になっちゃった。しょうがないからマークIIに先に4人乗ってもらって、助けを呼んでもらうことになった。
砂漠に残ったのは俺と屈強なカメラマン2人の3人だけ。さらに2日間、野宿で待っていたから、食料はもうペットボトル半分の水とパン半かけぐらいしかない。尽きる寸前だよね。
そんな悔しい思いをして、なんとかハイエースをトラックに乗せてアルジェリアに脱出したんだけど、修理もまたドタバタだった。当時の最新の車だから部品がないと言われてね。次のチームが隣国のチュニジアに来るから、チュニジアまでけん引して来いということになった。