ダイアモンド☆ユカイが別居婚を決断したもう1つの真相「娘の夢を応援しようと」
妻と話し合って娘の決断を応援しようと誓った
――長女の新菜さんも奥さまと一緒に生活しながら頑張っているとお聞きしました。
「彼女は4月に中学生になったんだけど、ものすごく成長した。もうすぐ身長も俺を抜いちゃうんじゃないかっていうくらい大きくなってね。実は先日ブログで公表したんだけど、夢を追いかけて本格的にアーティスティックスイミングをやっているんだ。小さい頃から水泳を習っていたんだけど身体能力はずば抜けていて、『アテナアクアメイツ・スイミングスクール』のコーチの伊藤さんに声をかけていたいてアーティスティックスイミングを始めてみたらすごく熱中して。
そしたら小学6年生のときに『パパ、私はアーティスティックスイミングでオリンピックに行きたい。憧れの乾友紀子選手が所属する“井村アーティスティックスイミング”に入って頑張りたい』って言ったんだ。うれしい言葉だったけど父親としてはもうちょっと長く一緒にいたかったから泣いたよ(笑)。だって長女が生まれて初めてしゃべった言葉が『パパ』だったからね。双子が生まれて妻が大変だった時期、俺と長女はずっと一緒でベッタリだったからね」
――新菜さんが宣言されたとき、奥さまの反応は?
「悩んでいたよ。でも娘が本気で決断したことだから夫婦で応援しようって話をしてね。世の中もコロナ禍になり、娘以外のさまざまなことについてたくさんの話し合いをしたんだけど、結局、妻は娘について家を出ることになったんだ」
――つまり「ポップ婚」というのは実は……?
「もちろんそれだけじゃなくて前にも話した通り、うちは夫婦として距離を置くことも必要だったから」
――昨年「第44回全国JOCジュニアオリンピックカップ」でも団体で銀メダルを獲り、10~12歳のソロで7位、デュエットで5位に入賞と好成績を収める活躍です。
「この前、練習中に足をケガをしてしまって本人はちょっと不安かもしれないけれど、でもハードな練習を毎日やって、本当にたくましくなってきた。彼女の頑張りは俺の励みですから」
――新菜さんと一緒に奥様も頑張っているから俺も負けられないっていう気持ちになっていると?
「そうだね。女性陣のタッグはパワフルですよ。たまに会うと長女から妻みたいに叱られますから」
――ますます仕事にも力が入りますね。
「コロナ禍で仕事も生活も大変なんだけど、家族を見守っていくために自分の人生をあまり現実的に追い詰めないで気楽な気持ちでなんとか乗り切ろうと思っているんだ。苦しい時っていうのは1つの映画の場面だと思って大変なときこそ気楽にいこうぜってね」
□ダイアモンド☆ユカイ 1962年3月12日、埼玉県大宮市生まれ。86年、ロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてデビュー。日本武道館、西武球場でのライブを成功させ89年に解散、ソロに。俳優としては88年、日米合作映画「TOKYO POP」でデビューし、映画「弾丸ランナー」やミュージカル「ミス・サイゴン」などに出演。タレントとして多くのバラエティー番組で活躍。2009年、一般女性と再婚。無精子症と判明し不妊治療を行い2男1女に恵まれたことから、男性不妊の啓発活動も熱心に行っている。8月21日(日)に東京アメリカンクラブ(港区)でプレミアムディナーショーを開催。
ダイアモンド☆ユカイ公式ブログ「ユカイなサムシング」
https://ameblo.jp/diamondyukai/
プレミアムディナーショー「VTHE PREMIUM DINNER SHOW 2022 RespectX」
日程:2022年8月21日、開演予定は午後6時
会場:東京アメリカンクラブ
HP:https://community.camp-fire.jp/projects/326194/activities/381462