チューリップのアルバムデビュー50周年に改めて考える魅力 脈々と受け継がれる遺伝子

魔法の黄色い靴
魔法の黄色い靴

幻のデビュー作「私の小さな人生」

 しかし、筆者が今回の50周年記念エディションで一番心を捉えられたのが、幻のデビュー作にして初CD化の「私の小さな人生(71年)」である。発売後すぐにメンバーが二人脱退し、残ったメンバーである財津と吉田彰は一旦福岡へ帰り、バンドの再編を余儀なくされるという「いわくつき」の1曲。翌年の「魔法の黄色い靴」は実は再デビューなのである。

「私の小さな人生」を聴いて数年後のチューリップの姿を想像するのは難しいだろう。一言で言えば大変に地味な作品なのだ。シンプルながら荘厳なイメージはプロコル・ハルム「青い影」を彷彿とさせるし、歌詞も独白的なものである。「私の小さな人生」発売時、財津和夫はまだ無名であり、音楽というあまりにも未知な未来に対する不安を歌う。

「私の小さな人生は これからどんなに変わるのか」

 偉大なアーティスト財津和夫をしても、この歌がリリースされた23歳時には、迫り来る大成功や、ここから音楽生活が50年以上続き、国民的な大ヒットを何曲も世に出すことになることを予見することはできなかった。これからどうなるか分からない思いを抱えて生きるのは、どの時代の若者も同じである。

 筆者はレコード愛好家である。この「私の小さな人生」も、レコードで愛聴している。袋を開け、ドーナツ型の7インチのレコードのほこりを払い、ターンテーブルにセットする。レコード針をそっと外周の溝に乗せると、プチプチという心地よいノイズの向こうに立ち上る「51年前」のチューリップのサウンド。自分の歌が初めてレコードになったとき、はじめて針を落としたとき、財津は何を思い、何を感じていたのか。一度故郷に帰らざるを得なくなった状況に、彼は何を思ったのか。筆者は音楽家の端くれとして、どうしても「そこ」に想いをめぐらせてしまう。

「できる事なら死んで行くその日まで 歌を歌って生きて行きたい」

 財津がデビュー時に音盤に刻んだこの言葉、あまりにも大きな夢をかなえるため、彼は今もステージに上がり続けている。もし、今の財津和夫、チューリップがこの歌を歌うとどのように響くのだろうか。

 そしてそれは、音楽を、歌うことを志した「すべての無名の若者」が、心から願うたった一つの夢なのだ。

□成瀬英樹(なるせ・ひでき)作詞・作曲家。1968年、兵庫県出身。92年、4人組バンド「FOUR TRIPS」結成。97年、TBS系ドラマ「友達の恋人」(瀬戸朝香・桜井幸子主演)の主題歌「WONDER」でデビュー。2006年、AAA「Shalala キボウの歌」で作曲家デビュー。AKB48提供「BINGO!」「ひこうき雲」、前田敦子「君は僕だ」「タイムマシンなんていらない」などがトップ5ヒット。16年、AKB48のシングル「君はメロディー」でオリコン年間チャート2位を記録するミリオンセラーを達成。21年、乃木坂46「全部 夢のまま」を作曲。

○成瀬英樹公式HP:https://hidekinaruse.com/

○YouTubeチャンネル「成瀬英樹のポップス研Q室」:https://www.youtube.com/channel/UC_RUkkST9KnBykcR9ZhTcpQ

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