大切なことは全部フジテレビで学んだ 大島由香里が明かす報道キャスターの苦悩
クラフトビール定期便「Otomoni」とコラボし、チェイサービール「SYLDRA(シルドラ)」セットを初プロデュースしたフリーアナの大島由香里(38)。そもそものビール好きはフジテレビ時代から始まった。局アナ時代に一番大変だったことは……。
報道の現場で鍛えられた技量「すべての基礎はフジテレビだと思っています」
クラフトビール定期便「Otomoni」とコラボし、チェイサービール「SYLDRA(シルドラ)」セットを初プロデュースしたフリーアナの大島由香里(38)。そもそものビール好きはフジテレビ時代から始まった。局アナ時代に一番大変だったことは……。(取材・文=平辻哲也)
きっかけは入社2年目、取材終わりの“とりあえずの一杯”だった。フジテレビには2007年4月入社。10月から「FNNスーパーニュース」のフィールドキャスターを務めるなど現場を駆け回ることの方が多かった。「それまでもなんとなくビールは飲んでいたんです。でも、とりあえずの一杯がおいしすぎて……」と笑う。
同期にはバラエティーで人気の生野陽子アナらがいるが、大島の主戦場はニュース畑。2010年4月から、大学時代も務めていた「BSフジNEWS」のニュースキャスターに“返り咲き”、以降も「レインボー発」のニュース読み、「ニュースJAPAN」「あしたのニュース」でメインキャスター、「FNNスーパーニュース」など花形報道番組を歴任してきた。
一番大変だったのは? と聞くと、ビールの話題とは打って変わって、真剣な表情を見せる。「いつ、どこに取材に行くか、全く分からないまま、ずっと自分の身を捧げるというお仕事だったので、体力的、精神的、スタミナの維持も大変でした。でも、一番大変だったのは、本当はマイクを向けてほしくないだろう取材対象の方に対して、マイクを向けたとき。事件や事故の被害者やご遺族を取材するときは本当に申し訳ないな、という思いになり、自分自身つらくなることがありました。本当に自分の気持ちに負けそうになるんですね」と神妙に振り返る。
記者も新聞社時代は社会事件を担当した時期もあり、その苦しさは理解できる。
「もともと、私は積極的にズカズカと入っていくタイプではないので、気が引けちゃうんですよね。だから、最初はそれでスタッフさんにすごく怒られましたし、『もう1回やってくれ』と強く言われました。やっぱり自分の仕事はここにあると思っていましたし、何のために伝えるのかっていうことをちゃんと忘れないように仕事をしようと心がけていました」
ニュースは競争。一刻も早く現場に着き、その生の声や映像をお茶の間に届けるのが任務だ。「ほかに遅れを取ってはいけない。その一方で、テレビ局同士の横のつながりもありましたので、葛藤もありましたし、その中で本質的なものを見失いがちになってしまう。それが本当に難しいですよね。けれど、最終的に自分が意思を持って聞いたニュースが放送され、見てくださった取材対象の方から『ありがとうございます』と言われたときは、この仕事をやっていて良かったと思えた瞬間でもありました。ずっと、そんな自問自答の繰り返しでした」。
フジテレビは2017年12月に円満退社するまで、10年あまり勤め上げた。「今はこうして、フリーでいろんなことに挑戦させていただいていますが、すべての基礎はフジテレビだと思っています。あそこがなかったら、今の私はない。だから、感謝しかありません」。報道の現場で鍛え上げられた技量、人間力が今の大島の武器になっている。
□大島由香里(おおしま・ゆかり)1984年1月24日、神奈川県平塚市出身。成城大学経済学部卒業後にフジテレビ入社。アナウンサーとして夕方のニュース等、主に報道番組のキャスターを担当。2017年12月にフジテレビを退社し、子育てを頑張りながら18年からフリーで活動中。日々の癒しとしてビールを好んで飲んでおり、ビールをチェイサーとして飲みたがるほどのビール党っぷり。自身のYouTubeチャンネル「大島由香里に乾杯!」ではほぼ毎動画で乾杯をしている。O型。165センチ。趣味:アニメ鑑賞、ゆるい絵。特技:ビアテイスター(日本地ビール協会)、大型自動二輪免許。