コロナ禍での車中泊生活から2年、マギー審司の現在 「けっこうたたかれもしました」
今後の抱負、目標については「今は普通に手品がしたい」
――仕事柄マスクを外すことへの不安は。
「僕はまだピン芸人で、ステージ上では一人なのでそこまでは抵抗ないんですけど、ロケとかは普通に外しちゃってることもありますよね。不安はあるにはあるけど、もう諦めですよね。仕事なので、自分だけやらないというわけにもいかない。僕自身も人集めてやりたいことがいっぱいあるんですけど、どうなのかな、いいのかなって。僕らって何かやったらたたかれる仕事じゃないですか。慎重に世間の流れを見極めながらですかね」
――地元気仙沼を襲った震災から11年、震災とコロナの共通点は。
「震災のときは実家が一家で避難して、連絡ついたのが3~4日後。新聞で『マギー審司の父親無事』という写真付きの記事を見て、それで無事を確認できました。祖母は亡くなってしまって、家も1メートルくらい水に浸かって、実家の電気屋の家電もダメになって、親戚の高台の家で避難生活して。でも、必要なものは何でも届いて、やっぱり田舎の人付き合いって大事なんだなと思いましたね。そういう人付き合いは今自分ができてるかなって。それで、ようやく街が元通りになってきたときにコロナでしたからね。震災は少しづつでも復興に向かってるという希望があったけど、コロナは終わりが見えない。自分の中では全然別物です。だって、2年も続くと思わなかったでしょ。僕だって、もう2~3か月車中泊したら元通りになれると思ってましたから」
――今後の抱負や目標は。
「今までは普通に言えたんですけどね。今は普通に手品がしたい、マジックショーがしたいです。目標じゃなくて、願望ですね。何かしらレストランがテイクアウト始めたり芸能人がYouTube始めたり、普段使わない脳みそをたくさん使ったと思う。収束のためにはみんながみんな家にこもってればいいのかもしれないけど、最近はSNSを見てもみんなで集まって、いろいろなことをやり始めてる。自分ばっかりこの小さいスマホの画面ばかり見ててもしょうがないので、最近はもう少し動き出してもいいのかなって思いますね」
□マギー審司(まぎー・しんじ)、本名・三浦審(みうら・しん) 1973年11月11日、宮城県気仙沼市出身。小学生の頃からマジックに興味を持ち、高校卒業後渡米し、プロのマジシャンの下で修行する。帰国後の94年、マギー司郎に弟子入り。NHK「爆笑オンエアバトル」で負けなしの10連勝を記録。05年には第21回浅草芸能大賞新人賞受賞。師匠譲りの話術とマジックで多方面で活躍中。