「テレフォン人生相談」制作陣が明かす“ベストバウト”「放送後フロアの電話全てが鳴った」
1965年に放送を開始し、現在も多くのリスナーに親しまれているニッポン放送の長寿番組「テレフォン人生相談」。インターネットで同番組を検索すると「やばい」「傑作」といった感想や書き込みが見られる。同番組プロデューサーである長濵純氏とディレクターの宅野淳氏に印象に残っている放送回について話を聞いた。
半世紀以上続く長寿番組制作陣は“セッション”と表現する
1965年に放送を開始し、現在も多くのリスナーに親しまれているニッポン放送の長寿番組「テレフォン人生相談」。インターネットで同番組を検索すると「やばい」「傑作」といった感想や書き込みが見られる。同番組プロデューサーである長濵純氏とディレクターの宅野淳氏に印象に残っている放送回について話を聞いた。(取材・文=島田将斗)
宅野氏が紹介するのは2007年2月の放送回。15年たった今も鮮明に覚えている。「ガチャ切りおばさん」だ。「その当時、番組に関わっていて収録のときも立ち会っていました。相談者は65歳の元教師。30歳の引きこもりの息子がダンベルを使って家のものを壊す。『息子に家を出ていってもらいたいけれど、出ていってもらえない』という相談でした」と振り返る。
さらに「基本的に、パーソナリティーの加藤諦三さんが相談者(元教師)自身が抱える問題を指摘してもなかなか認めないんですよ。収録のときも永遠にしゃべり続けていて……。政治家が悪い、他の人が悪いとか延々と怒っていたわけです。自分が認めてもらえなくて最後にガチャって切ってしまうんですよ」と15年たった今も苦笑いを浮かべる。
この放送では38年間教員を務めたという相談者が、誰が聞いても失礼に感じるような態度で一方的にしゃべりまくる。冷静に相談者の問題を指摘する加藤氏だったが最後は、相談者に逆ギレされ、電話を切られてしまうという内容だった。
宅野氏は「放送が終わった瞬間にフロアの電話全てが鳴りました。クレームではなくて、『よく言ってくれた』というのがほとんどでしたけれど」と語る。
一方で、長濵氏が印象に残っていると明かしたのは特定の放送回ではなく、パーソナリティーと相談者のやり取りだった。「全ての電話を切り終えた後に発せられる加藤先生の〆の言葉をよくみなさんがSNS上に発信するんですよね。あの言葉の数々は、収録前に用意されているわけではないんです」と熱を帯びる。
続けて「話を聞きながら、加藤先生はずっとメモをしている。そのなかで加藤先生のワードが生み出されてくる。収録中、私にとって相談がある意味でセッションのように見えてきました。リスナーさんの心に寄り添いながら、解決・納得するまで話を続けて、そのことを要約したひとことがとても重たいんです」と力強く口にした。
家族の複雑な関係に関する相談も少なくはなく、エキサイトしてしまう相談者も多い。番組としてどのように向き合っているのかも明かしてくれた。
「エキサイトするっていうのは最初からではないんです。要は相談があって自分の望んだ回答が得られないと怒ってくる。それに関しても納得するまで話す。14分(放送時間内での相談時間)で終わる人なんていませんから。相談者もその日に悩みを解決することがメインですからね」と宅野氏。
長濵氏は「加藤先生のおっしゃる『心が分からない』、『問題の置き換え』の2つが番組のキーワードかなと思っています。心が分からないから悩むし相談する。問題をすり替えるというのは自分自身の問題なのに子どもの教育の相談になっていく、ふたを開けてみたら、本当は自分自身が受けてきた教育への悩みだったりなんてこともよくありますね」とうなずいた。
相談を真正面から受け止め、解決するまで話し続けるからこそ生まれる緊張感。リスナーは、制作陣が“セッション”と表現する本音の対話に心を動かされる。長寿番組の裏側とはこういうものだと思い知らされた。