林家三平が笑点で過ごした5年7か月 悩んだ世間の評価との向き合い方、匿名での誹謗手紙
心残りは「座布団10枚、達成したかったですね」
両者の合意に至ったのは、21年の夏前のこと。「今年いっぱいにしましょうか」という着地点に行きついた。
三平降板が内々に決定したが、その情報が、数か月先のオンエアーで発表されるまで漏れることはなかった。他の出演者が三平降板を知るのは、暮れも押し迫った21年12月上旬のことだった。
着地点を三平は、妻だけには伝えていた。「家内は、私の背中を見ていますから、つらかったということは多分分かっていたと思います」と、三平の思いに反対したり、口をはさむことがなかった妻に対する感謝の思いが強い。
「『笑点』から1回出るね」。報告はそう短く。妻の答えも実に短く、「あ、そうなの」。それで2人には十分だった。
コロナ禍前から、三平の解答をめぐり「面白くない」といった否定的な記事がネットメディアなどでたびたび報じらることがあった。妻もそれを知っていた。
三平は「気にしていました。エゴサーチもしていました。かみさんに『気にするな』と言われて、読まなくなりました。きりもないんで」と世間の評価との向き合い方を示す。事務所には、匿名で『早く『笑点』を辞めろ』という手紙も届いていたという。
三平は、すべてから自身を解放する道を選択した。
5年7か月におよんだ出演期間の、半分はコロナ禍だった。思いもかけない時代が三平を迷わせたが、『笑点』から得た収穫は多かったという。
「その場で答えを考えるため収録は大変でしたけど、自分を鍛えることができました。もともと大喜利自体、やったことなかったので、即興の大切さが身につきました。(三遊亭)小遊三師匠には『テイク・イット・イージー、気にすることないよ』といつも言ってもらっていました。いちばんうれしかったのは、(林家)木久扇師匠や(三遊亭)円楽師匠の息、しゃべるペースや表現を真横で見られたこと。熱量がよく分かって、ためになりましたね。もう少し、山田(隆夫)さんと話しをすればよかった」と笑いながら振り返る一方、残念な心残りも。
「座布団10枚、達成したかったですね。9枚までいきました。あと1枚のための人生経験を、これから積みたいと思います」
言葉遣いが実にハンサムだ。
毎週日曜日の夕方、当たり前のように親しんでいる国民的番組「笑点」。ダチョウ倶楽部と、木久扇、たい平、三平の3人による「林ヤ~」というコラボギャグでも、視聴者として大笑いさせてもらったことがある。
「笑点」後の三平は他局に出演したり、BS「Japanest」ではレギュラー番組「林家三平のおきらく旅」が今春始まり、隔週で2泊3日のロケに行っている。ライザップで復調できた体調のメンテナンスも怠らず、寄席にも出演するなど落語とも真正面から向かい合っている。5、6種類飲んでいた薬も必要なくなった。
日テレサイドが「いずれ戻って来てください」と温かく送り出してくれたが、「そうなるかどうかはお客さまが決めることだし、日テレさんが決めることです。局側が好意的に思ってくださっていることは、とてもありがたいと思っています」と実にあっさり、一切執着しない。
「私としては今、ニコニコ前向きに生きていられるんで、それがうれしいですね。独演会をやろうという気持ちがでてきたので、うれしいですね」と、新たな日々に納得の笑顔を見せる。
最後に、こんな質問をぶつけてみた。「『笑点』は見ていますか?」
一拍置き、三平はこう答えた。
「録画はしています。お世話になっている大好きな師匠方がどんな解答をするのか、勉強になりますからね。でもまだ見られなくて……」