音楽の授業が苦手だった少年が紅白7回出場を果たすまで 山内惠介が挫折から学んだ歌

大きな夢はラスベガスで演歌を披露すること【写真:塩見徹】
大きな夢はラスベガスで演歌を披露すること【写真:塩見徹】

大切な人との別れと救ってくれたお客様の温かい声援

 そしてもう1つ気が付いたことがあります。人というのは絶対に自分では埋められない穴があって、それを埋めて欲しいから誰かに何かを求めるんじゃないのかなって。それは歌い手とお客さまの間でも同じことで、互いにそこを埋め合うことができたら歌が届けられたことにもなるんじゃないのかなって、そう思いました。

 2018年のツアーの最中にずっと山内惠介バンドのリーダーとして支えてくれたドラムの奥野暢也さんが突然この世を去りました。亡くなった日は奥野さんの53歳の誕生日でした。昨日まで当たり前のように僕の後ろでドラムを叩いていた大切な人が突然いなくなってしまい、言葉に表せないくらい辛かったです。

 そんな時にファンのみなさまの温かい応援が力となって僕が埋められなかった穴を埋めてもらいました。おかげで歌うことで辛さを乗り切り、その後のツアーも完走しました。今も楽屋に奥野さんの写真を飾ってライブに臨んでいます。ちょっとしんどいなと思った時は、「頑張れ!」って奥野さんが出てくるんです。今の僕のエネルギーですし、ありがとうしかないですね。

 僕は先生方からいただいた作品を歌う時、聴いてくださる方々が自由に受け取れるように曲のイメージを押し付けない歌い方を心がけています。例えば2011年に歌った「冬枯れのヴィオラ」は、銀幕歌謡ですから歌い手が映写機の役割になって聴く人の想像を広げられるような歌い方を心がけました。

 3月に発売した新曲「誰に愛されても」も最愛の人との別れというイメージがあれば、世界で起こっている出来事に置き換える人もいらっしゃいますし、ロミオとジュリエットみたいだという感想もありました。そんなみなさんの想像を大切にしながら歌っていきたいと思います。

 これからの山内惠介は、「これからも演歌歌手であること」に間違いはないです(笑)。目指すのはツアー・アーティストです。新たな土地で新たな風を感じながら人との出会いを大切に、いくつになっても旅をしていたいです。もっと大きな夢はいつかラスベガスで歌ってみたいですね。この前、ロサンゼルスは略してロスだからラスベガスはラスでしょって言ったらみんなに思い切り笑われちゃいましたが(笑)。セリーヌ・ディオンさんみたいに、いつか演歌歌手があのベガスのステージに立てたら面白いと思いません? そんな演歌歌手が生まれてもいいんじゃないですかね。

□山内惠介(やまうち・けいすけ)1983年、福岡県生まれ。99年、作曲家の水森英夫にスカウトされ、2000年に上京。01年、シングル「霧情」でデビュー。デビュー15周年となる15年に「NHK紅白歌合戦」初出場を果たし、以来連続出場中。19年、47都道府県コンサートツアー開催。20年、デビュー20周年を迎え、11月には日本武道館公演を開催。21年、2月にデビュー20周年記念曲第2弾「古傷」発売。22年、デビュー22年目を迎え、新曲「誰に愛されても」を発売。3月24日埼玉・川口総合文化センターリリアを皮切りに、全国ツアーを開催中。

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