ゴリ、母から聞いた沖縄戦の痛ましい記憶 沖縄本土復帰50年に子どもたちに伝えたいこと
「ロシアとウクライナの抗戦は他人ごとでない」
日米ハーフの転校生の少年・マギイには、自身の経験と取材で聞いた話を重ねたという。
「マギイのようなハーフの子どもは、僕たちが小学校のときも学年に数人いました。復帰後に生まれた僕らにとって、アメリカは憧れの存在。音楽を聴き、ファッションをまねたりもしました。でも、返還前後は、教室に入って来ると『お前、アメリカ―(アメリカ人のこと)だろ。お前のおとう(父)は、人殺し』と黒板に書かれた時代もあったと聞きました」
私生活では、2002年に結婚し、子どもが2人いる。沖縄戦体験者の多くが鬼籍に入っている今、どのように継承していくことができるのだろうか。
「沖縄の本土返還の歴史と重ねられることが多い“復帰っ子”として生きてきましたが、僕自身は戦争を知りません。映画『洗骨』(埋葬した骨を数年後に洗い清める琉球弧の伝統的な葬法のこと)のテーマになった骨を洗うという儀式についても、映画の制作を進めていく中で学んだこと。子どもたちには興味を持ってもらうきっかけ作りができればと考えています」
子どもたちが穏やかに生きられるように。世界から争いがなくなることを願っている。
「ロシアとウクライナの抗戦は他人ごとでないと感じます。戦争は終戦すれば全てが終わりではありません。戦地から生き残った側も生き続ける限り人を殺めてしまったときの感覚を払しょくできないと聞きました。加害者も被害者も関係なく、当事者の人たちにとっての戦争は、命が尽きる日まで終わらないのです。これからの未来を創る子どもたちには、殺し合いではない形で解決策を考えてほしいと思います。戦争は人の心にも、町にも負の遺産しか残さない」
小説家として第一歩を刻んだ照屋。一方で伝説のキャラクター「ゴリエ」が16年ぶりに復活したことでも話題だ。番組では、新曲も発表した。
「彼氏に浮気されても、前向きに転換できるゴリエちゃんはポジティブの塊。どんな逆境でも前向きに生きるゴリエちゃんのパワーを多くの人に届けられたらと思っています。復活については最初、『受け入れてもらえるだろうか』と不安もありましたが、僕のYouTubeチャンネルで公開した動画には『復活してうれしい』という声や、『元気をもらえた』『泣けた』などのコメントが多く寄せられました。今日、家を出るとき、ニュース番組で『コロナ禍で子どものうつが増えている』と放送しているのを見ました。『学校に行きたい気持ちはあるけれど、家を出ることができない』『友だちに会いたいけれど、勇気が出ない』など、苦しい思いをしている子たちに少しでも元気を与えられたらと思います。行きが不透明な今、ゴリエちゃんの姿が、ストレスを抱えている人の癒やしになればうれしいです」
小説家としても、ゴリエとしても願うのは、平和で心が豊かになれる社会。そのために、照屋はいま、できることを続けていく。
□照屋年之(てるや・としゆき)1972年(昭47)5月22日、沖縄県生まれ。中学時代の同級生、川田広樹と95年にお笑いコンビ・ガレッジセールを結成。ボケ担当で、愛称は「ゴリ」。97年、日本テレビ系「ロンブー荘青春記」でレギュラーを務めてブレーク。俳優としても活動している。2009年には、映画「南の島のフリムン」の監督・脚本を担当。18年に照屋年之の名義で監督を務めた映画「洗骨」は、「第40回モスクワ国際映画祭」でアウト・オブ・コンペティション部門に出品された。趣味は、歩くこと。173センチ、血液型A。