「ドライブ・マイ・カー」自動車整備士、3万円のボロボロのワンボックスカーで叶えた夢

映画協力のお礼に送られてきたポスターを飾っている【写真:ENCOUNT編集部】
映画協力のお礼に送られてきたポスターを飾っている【写真:ENCOUNT編集部】

会社が倒産…信号待ちの車に営業する日々

 営業をやるためには車の説明書を読みます。サーブは飛行機会社とトラックのスカニアという会社が合併してできた車で、安全性にはすごくこだわっていました。例えば、ハンドルのシャフトは普通1本なんですよ。正面衝突すると、シャフトがハンドルを突き破って運転手の胸に刺さって死んでしまうこともあります。サーブの場合はシャフトが釣りざおみたいになっていて、衝突したときにたたまれて衝撃を受けずにつぶれるようになっています。

 また、タイヤが一つバーストしても、ブレーキを踏むとスピンせずに、キュッとまっすぐ止まる。ハンドルの下にパネルがあるんですけど、ウレタンが5センチくらい厚いんですよ。ぶつけて膝がそのウレタンに当たっても、膝の形にへこむようになっています。エアバッグがない時代に、そういった見えないところでの安全性というのはかなりあった車だと思いますね。

 そうやっているうちに、バブルがはじけて会社がつぶれて車の販売ができなくなりました。僕は人がいないときは工場も手伝っていて、整備士の免許もあったので、整備の仕事をやろうと思いました。当時はメールがない時代ですから、自分の顧客一人一人に「いや実は会社がつぶれて整備をやりますから、よかったら使ってみてください」と手紙を書いて送りました。

 店が持てるほどの資金がなかったので、3万円のボロボロのワンボックスカーを買い、工具を積んで、お客さんの車を出張修理することから始めました。街でサーブを見かけると、その場で飛び込み営業をしました。チラシを持って信号待ちしている車のところに走っていき、窓をコンコンとたたいて「サーブの修理やっていますから」と声をかけました。埼玉に行ってブレーキパッドの交換をやったり、千葉に行ってオイル交換をやったり、ほとんど利益にならないようなことから始めて、やがて溝口にちっちゃな修理工場を持つようになりました。地道に仕事をもらって、そこから立ち上げた会社なんですよ。だから、かなりハングリーな会社ではあると思います。

 サーブという車は結構マイナーな車で、最近は「サーブだけでよく飯が食えるね」と言われるぐらい台数がどんどん減って来ています。それでも、いまだにサーブだけで飯が食えているのは、やっぱり(修理の依頼が)日本全国から集まってくるぐらいまでになってくれたからだと思います。ベンツやBM(W)をやっていればもうかるのかもしれないですけど、自分の好きな車ですからね。

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