「父は立ったまま黒焦げに」 92歳日本人女性がツイッターで「戦争反対」訴えるわけ

被爆者2世の長男に先立たれた後、「自分の生きたいように生きよう」と上京を決意

 戦後は妹と共に叔父の家に引き取られ、20歳を過ぎたころに結婚。家業の商店を手伝い、4人の子を育て、体の弱かった義父母を看病し、生きるために悲しむ間もなく働いた。爆心地近くで被爆した妹、広島で被爆した夫、その夫との間にできた被爆者2世の長男と、皆50代で先立たれた。

「長男が亡くなった後、私の人生は何だったのだろうと考えるようになった。もう自分の生きたいように生きて、言いたいことを言ってもいいんじゃないかと。バッグひとつ持って家を出ようと決めました」

 78歳で長崎から上京。まだ家庭にほとんど普及していなかった2000年代初頭から始めたパソコンは、一昨年の10万円の特別給付金を機にiPadへ買い替えた。同時に、それまで主に家族の連絡用として使っていたアカウントとは別に、全世界へと発信するツイッターの公開アカウントを開設。自身の戦争体験とともに戦争反対を訴え、フォロワー数は3万人を超える。

 今のウクライナの惨状には胸を痛めているが、かつて日本も同じことをしたのだと証言する。「大陸から引き揚げてきた人たちはみんな、現地で行ったひどいことを武勇伝のように話していました。『用が済んだ女は川に投げ捨ててやった』と」。森田さんのアカウントにも「本当に優しかった近所のおじさんが、紳士的だった人たちが、町内の飲み会で自慢大会のように話していた」と、戦争体験者からのコメントが多数寄せられたという。

「戦争は人間を人間でなくしてしまう。今ロシア人がやっていることは、昔日本人もしたし、ウクライナ人だって逆の立場になれば同じことをする。今の政治家はそれを知らない人たち。戦争は絶対にしてはいけない。それが政治の責任です」

 自身のつらい過去はこれまで家族にもほとんど話してこられなかったが、「伝えることが戦争体験者の責任」と話す森田さん。戦争の悲惨さと反戦への祈りが、SNSの力で若い世代にも届くことを願っている。

□森田富美子(もりた・ふみこ) 1929年、長崎県出身。16歳のとき、長崎の爆心地から10キロほどの軍需工場で作業中に被爆。両親と3人の弟を原爆で失う。20代のとき結婚し、家業の商店経営に加わる。2000年代初頭に70代でパソコンを始め、08年に78歳で上京。20年にツイッターの公開アカウントを開設し、自身の戦争体験の発信を続ける。

次のページへ (3/3) 【写真】パソコンを始めた70代の頃の森田さん
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