「父は立ったまま黒焦げに」 92歳日本人女性がツイッターで「戦争反対」訴えるわけ

ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まって2か月、連日のようにいたましい報道が海を越えて届いてくる。戦地での非人道的な行為に怒りや悲しみを露わにする人も多いが、そんななか、ツイッターで先の大戦の記憶を証言し、戦争反対を叫び続ける一人の女性がいる。「わたくし92歳 NoWar 戦争反対(@Iam90yearsold)」のアカウント名で全世界に発信を続ける92歳の戦争体験者、森田富美子さんに、77年前の戦時下の真実を聞いた。

自身の戦争体験をツイッターで発信する92歳の森田富美子さん【写真:ENCOUNT編集部】
自身の戦争体験をツイッターで発信する92歳の森田富美子さん【写真:ENCOUNT編集部】

90歳を迎えた2年前からツイッターで戦争体験を発信を始める

 ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まって2か月、連日のようにいたましい報道が海を越えて届いてくる。戦地での非人道的な行為に怒りや悲しみを露わにする人も多いが、そんななか、ツイッターで先の大戦の記憶を証言し、戦争反対を叫び続ける一人の女性がいる。「わたくし92歳 NoWar 戦争反対(@Iam90yearsold)」のアカウント名で全世界に発信を続ける92歳の戦争体験者、森田富美子さんに、77年前の戦時下の真実を聞いた。

 森田さんがツイッターで自身の戦争体験を発信し始めたのは90歳を迎えた2020年。長崎の原爆犠牲者慰霊式典で、安倍元首相のスピーチを聞いたことがきっかけだった。3日前に広島で行われたスピーチと同じ文面。原爆犠牲者への弔いの意が感じられない姿勢に、当事者として悔しさがこみ上げてきた。

 ――1945年8月9日。当時16歳の女学生だった森田さんは、「報国隊」として家から10キロほど離れた長崎湾対岸の軍需工場に働きに出ていた。午前11時2分、原爆が投下。入隊直後でまだ仕事がなく、近くの防空壕で友達と雑談をしていた森田さんが穴から飛び出すと、長崎の街の上空に、大きく崩れたような形のキノコ雲が見えた。

「ドーン!という大きな音がして、爆風が来て、『長崎の街が燃えてるぞ!』と。すぐに乗合船に乗って駅の方まで行ったけど、火の勢いが強くて近寄れない。防火バケツの水を3杯かぶって、山伝いに大きく回り道をして一晩歩きました。ずっと誰にも会わなかったけど、明け方に山を下る途中で、焼けて剥がれた皮膚を引きずって歩いてくる大きな男性とすれ違った。その先は死体ばかりで、みんな川に向かって並んだように死んでいました」

 爆心地から200メートルほどの家のあった一帯は焼け野原となっていた。

「父は門柱に寄りかかるように立ったまま黒焦げになっていました。避難を呼びかけていたのか、手にはメガホンを持ち、開いた口は爆風で飛んできたいろんな物で塞がれていた。廊下には真っ黒な塊があって、わずかに焼け残った服の切れ端から、下の弟とそれをかばった母だと分かりました。茶の間では真ん中の弟が小さな塊になっていた。いつも川で遊んでいた上の弟は最後まで見つかりませんでした。

 原爆の1週間ほど前、学校帰りに機銃掃射に遭った妹は、それからずっと怯えて防空壕から出なかったので助かった。私を見ると『みんな死んだ。みんな死んだ』と言って泣きました。私は転がってあったトタンの上に父と母と2人の弟を乗せ、その場で家族を火葬しました。涙はひとつも出なかった。手にベッタリとついた真っ黒な血を、自分に残されたのはこれだけだと、何度も何度も手のひらにすり込みました」

次のページへ (2/3) 被爆者2世の長男に先立たれた後、「自分の生きたいように生きよう」と上京を決意
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