パッション屋良、教員免許取得も芸人に挑戦 夢は“東京再進出”「20年後にブレーク」
ムキムキ体型のポロシャツ姿で「んー! んー! んー!」の叫び声とともに胸を強打するギャグで一世を風靡(ふうび)したお笑い芸人のパッション屋良(45)。体育教師になるという夢を抱き沖縄から上京してきた屋良が、お笑い芸人を志した理由とは。今後についてどのような展望を描いているのか。本人に話を聞いた。
YouTube「パッション屋良の情熱プロテイン」でショートネタも投稿
ムキムキ体型のポロシャツ姿で「んー! んー! んー!」の叫び声とともに胸を強打するギャグで一世を風靡(ふうび)したお笑い芸人のパッション屋良(45)。体育教師になるという夢を抱き沖縄から上京してきた屋良が、お笑い芸人を志した理由とは。今後についてどのような展望を描いているのか。本人に話を聞いた。(取材・文=中村彰洋)
沖縄・名護で育った屋良は体育教師になる夢を抱き、大学入学を機に上京。東京での新生活をスタートさせた。お笑い芸人への憧れは持ちつつも、「テレビに出て飯が食えるほど世の中は甘くない」とどこか冷静な自分もいた。
「元々人を笑わせることは好きで、上京する当時からお笑い芸人になりたい気持ちはゼロではなかったです。でも『いやいやいや』と。沖縄の中でも田舎のほうだったので、そんな夢を語ったら笑われちゃうよぐらいの感じだったんです。それに、お笑いで飯を食っていく、テレビなんてそんな甘いわけない、という不安のほうが強かった。そういう気持ちを抑えて、身近で憧れの大人である体育教師を目指しました」
東京で見るテレビや劇場ライブは刺激的なものだった。そして、あるきっかけで芸人へ思いに歯止めが効かなくなった。
「大学2年生ぐらいのとき、地元で高校の同級生とビリヤードで遊んでいたんです。そこに大人がやってきて、僕の友達とあいさつしていたんです。『誰?』と聞くと、『中学校のときの体育の先生がいたんだよ』って話をして……。見てみると見事なまでの中年太りでした(笑)。『あんまりかっこよくないなぁ』と思ってしまい、一気にフッと冷めちゃったんです。『俺が目指すところはここじゃないかも』ってなってしまったんですよね。そうなったときに、お笑いをやりたい気持ちが強くなっていきました」
できることなら在学中にもお笑いの世界へ飛び込みたかったが、「親にも応援してもらっている以上はこんなに中途半端な形で大学辞めるなんて言えない」という思いから、無事に教員免許も取得し、卒業した。「かなり葛藤がありました。“お笑いをやりたい”という火を消すのがすごい大変でしたね」と笑顔で振り返る。
胸の内での進路は芸人一択。そんな中で臨んだ教育実習の場は「今の高校生を笑わせる感覚が残っているのか」を確かめるためのテストの場へと変わっていた。もちろん教育実習の職務もしっかりと全うした。「やることはしっかりやりました。『こういう人が先生になったらいいよね』と言われるくらい評判は良かったですよ!」。
大学卒業を機にお笑い芸人の世界へと足を踏み入れることを決意。しかし、“テレビ嫌い”な父親は案の定、猛反対。「ふざけんな! 大学まで出て、お笑い芸人とかわけの分からないこと言いやがって」と怒られたという。しかし、屋良は反対を押し切り、芸人の扉を開いた。