犬山紙子氏、母との別れ明かす「4月21日に永眠しました」 難病患い15年前から寝たきり
イラストエッセイストの犬山紙子氏が闘病中だった母との別れを明かした。24日、ツイッターで「母が4月21日に永眠しました」とつづった。
「人は生きているだけで素晴らしい価値があると母を亡くした今痛感します」
イラストエッセイストの犬山紙子氏が闘病中だった母との別れを明かした。24日、ツイッターで「母が4月21日に永眠しました」とつづった。
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犬山は「母が4月21日に永眠しました」と書き出し、複数のツイートに分けて投稿している。
「偶然私はその前日に実家に戻っており、母を看取ることができました。私が帰ってくるまで頑張っていてくれたのかなと思います。母は20年前にシャイドレーガー症候群という難病を患い、15年前に脳出血を起こし寝たきりになりました。シャイドレガー症候群になってから20年も生きてくくれたのは本当にすごいことです。頑張り屋の母らしいです。話すことも口から食べることもできないけれど誰かの顔を見るとニコーッと笑ってくれました。母を見ていると人間はただ生きているだけど尊く、母がただ生きてくれているだけで私たち家族は母の愛で守られているような気持ちでした。
自宅介護をして20年。私は6年前妊娠してからは介護をほぼできていなかったのですが、姉が母を守り抜きました。そしてヘルパーさんたちがとても暖かく大きな大きな存在で、母がいないだけでなくヘルパーさんがもう来ないことも寂しくてたまりません。ヘルパーさんは母だけでなく家族も救う存在です。
人は生きているだけで素晴らしい価値があると母を亡くした今痛感します。話せない、動けない母が生きてくれるだけで随分と幸せをくれていました。お母さん産んでくれてありがとう。お母さんのおかげで今は寂しいけれど私は幸せにやっています。
私が20歳の時から兄弟3人での自宅介護。もちろん愛情だけで簡単にできるものではなく、たくさんの人の助けがないと無理でした。しんどい日もありました。しかし介護できてよかったです。母とこれだけ濃厚に日々を過ごせて、母のために何かできたのは私の大きな自信となりました。
母ひ父のことが本当に好きで、闘病中も父が仕事に行く前に挨拶をすると本当に嬉しそうに微笑んでいました」(原文まま)
そして続く投稿では「むちゃくちゃ寂しい。でも私は寂しいと言えるので大丈夫だと思います」と続けている。
40歳の犬山氏は2014年に結婚、17年に第1子女児を出産している。