“イケオジ”になった木戸修の現在の愛車はポルシェ 悠々自適のセカンドライフ
ダンディなおじさんから“イケオジ”に進化した「いぶし銀」木戸修さんに“今”と“あの時”を聞く「レジェンド直撃」シリーズ。3回目は若いころから堅実な人生プランを描くようになった理由、一部では知られていたカーマニアぶりを披露してもらった。
レジェンド戦士を直撃、「いぶし銀」木戸修【連載vol.7】
ダンディなおじさんから“イケオジ”に進化した「いぶし銀」木戸修さんに“今”と“あの時”を聞く「レジェンド直撃」シリーズ。3回目は若いころから堅実な人生プランを描くようになった理由、一部では知られていたカーマニアぶりを披露してもらった。(取材・構成=柴田惣一)
◇ ◇ ◇
――すっぱり引退されましたが、プロレスに未練はなかったのですか?
「道場でのコーチも終わったし、契約を伸ばしてくれ、なんて気はなかったな。俺は会社の意向をくみ取って辞めたよ。若いころはどこの団体に行ってもやれる気持ちはあったけど、新日本プロレスでやったし、ある程度の年齢になれば、覚悟もしていた。グタグタ言っても仕方ないし、どうにもならないよ。家族との時間を大切にしたかったしな」
――若いころから、人生プランを考えていたのですか?
「うちの兄貴(故・時夫さん)も日本プロレスに入門したけど、18歳で練習中のケガで寝たきりになって、最初は会社も面倒を見てくれたけど、最後は家族みんなで看病して、亡くなってしまった。俺だっていつ、どうなるか、わからない。幸せなことに、俺はレスラー人生を全うできたけど、親は心配していたと思うよ」
――木戸さんご自身は怖くなかったんですか? 4歳上のお兄さんが、志半ばで大ケガに見舞われてしまったのに。
「俺は逆にそれで、やんなきゃ、と。うちの兄貴は川崎ではブイブイ言わせていた。とにかく強かったんだ。それがアクシデントとはいえ、ああいうことになってしまった。俺も日本プロに入ってみたら、日本全国から集まって来るんだから、でかくて強くてごついヤツらばかり。顔を見ただけで、逃げ出したくなるヤツもたくさんいた。兄貴の分まで、という思いもあったけど、俺自身も強くなりたかったんだ。やり抜く気持ちは何があっても揺るがなかったな。新弟子に優しかったのは魁(勝司=北沢幹之)さんぐらいだったよ(苦笑い)」
――北沢さんは新日本プロレス50周年記念セレモニーにもいらしてました。藤波(辰爾)さんは、新日本はもちろん全日本プロレスの50周年記念ツアー大会に参戦するなど、現在も現役で活躍されています。
「全日本の大会も、か?(苦笑い) ふ~ん、頑張っているな」
――木戸さんたちは全日本プロレスに対して、色んな思いがありましたよね。
「それはな。レスリングスタイルも違うし、負けられるか、という気持ちはあったよな。今は、もうないよ。それぞれ、やっているんだし」