CAから気象予報士、コメンテーター・学者と驚きの転身…河合薫さんの生きざまは「まさかの連続」

「素の私は、仕事とかを本当はやりたくないタイプかも(笑)」

 今はコメンテーターとしてメディアでも活躍し、すべてが順調そう。

「45歳ぐらいでテレビのコメンテーターの仕事をやるようになり、心臓が飛び出しそうなほど、前日から気の利いたコメント、たまには笑いを、などと考えてプレッシャーでした。講演会も私の言うことが伝わっているのかと毎回不安。そしたら高校時代の友人に『周りはちゃんと評価しているのだから、自信がないと言うのは失礼』と怒られました。そこで初めて自分のキャリアを振り返ってみると、自分でも結構頑張ってきたと思えたんです。今まで通りやっていけばいんだと。私はしんどい時に傘を差しだしてくれた人たちに応えるには、自分が頑張るしかないと思ってきたので、新しいチャンスも完全燃焼すればいい。きっとその先にまた、進化した自分に出会えると思えるようになりました」

 私生活についても気になる。聞くと河合薫スイッチという言葉が飛び出した。

「今は河合薫スイッチを押して、ここにいます。押さないと超だらけた、なさけなくて、社交的でもない人間です。家に1週間1人でいて誰とも話さなくても大丈夫です。基本的に結婚という制度もあまり気にしていません。好きな人がいて、一緒にいたいと思えば、それでいいんじゃないかって。心から大切だと思える人がいることは幸せなことですよね。そう思える人がいるからこそ、人生って輝くんだろうなと思います。50歳を過ぎてからは、愛をケチらなければ、自分も幸せになれると思うようになりました。そうは言っても、ケチりたくなる時もありますけど(笑)」

 素の状態をもう少し知りたい。

「素の私は、仕事とかを本当はやりたくないタイプかも(笑)。人には仕事は人生を豊かにすると言っておいて矛盾しますよね。でもそんな私でも仕事をすることでハッピーになっていることは事実です。そうやって生きているので、いつ死んでも全然悔いがないです(笑)」

 最後に今後の生き方を聞いた。

「私の人生、まさかの連続なので、この先もまさか人生になれば楽しいと思っています。そのためには今やるべきことをきちんとやることだと思っています。以前は、なんで私の人生はどんどん不得意な方向に行っているだろうと思っていました。だって現代国語が苦手だった私が本を書くとか信じられないわけです。でも、今思うと、不得意なことをやってきたからこそ、頭も心もフル回転して、思いを言葉にできるし人に伝えることの難しさや面白さも分かる。自分が存在する意義も、苦労して流した涙の分だけ分かった気もします。自分でも思いもしなかったような56歳になりました。この先どうなるのか分かりませんし、不安だらけですが、そう思える自分が、また楽しいです。不安の反対って、前に進むことだと信じているので、この先もじたばた生きていこうと思っています」

□河合薫(かわい・かおる)1965年10月23日、千葉県出身。小4年から中1まで米国アラバマ州で過ごす。千葉大教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。94年、気象予報士第1号としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、07年、博士課程修了(Ph.D.)。産業ストレスやキャリア発達、健康生成論の視点から調査研究を進め、働く人々のインタビューをフィールドワークとし、その数約900人。長岡技術科学大非常勤講師、東大医学系研究科講師、早大非常勤講師などを務める。

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