くどめスマイルも健在、「邪道姫」工藤めぐみのレスラー人生 4・10両国大会への思い
「邪道姫」工藤めぐみが「押忍PREMIUM PROWRESTLING SHOW ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会『プロレス』」(4月10日、東京・両国国技館)大会を控え、奔走している。
1度はリングを降りる決断もリング復帰した過去
「邪道姫」工藤めぐみが「押忍PREMIUM PROWRESTLING SHOW ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会『プロレス』」(4月10日、東京・両国国技館)大会を控え、奔走している。
ダイコーZERO1のGMとして、大谷晋二郎ら選手とともにアピール活動に勤しむ工藤。中学生のころからの愛称「くどめ」スマイルは健在だ。
1986年に全日本プロレス女子プロレスに入門。ビューティ・ペア時代から女子プロレスの魅力にはまり、クラッシュギャルズ全盛時代に夢だったプロレスラーになった。「子どものころからの夢がかなったんです。練習は厳しかったけどフワフワしていました」と、懐かしい目をして当時を振り返る。
クラッシュギャルズとの対戦にも実現した。「憧れの人が目の前にいて、闘っている。それこそ時間が止まったかのようでした」と、その一瞬一瞬がコマ送りのように鮮やかによみがえる。
だが、「心と体のバランスが崩れてしまい、メンタルをやられて」退団。2年ほど保育園で子どもたちと過ごしていたが、どうにもプロレスの魔力にあらがえなく、1990年にFMWに乗り込みリング復帰を果たしている。
それと同時に、男子団体にあがる女子選手の先駆けとなった。男子選手と一緒にバスで長時間の移動もあった。「男子選手の皆さんが気を使ってくれた。ハヤブサ(江崎英治)選手が海外遠征の思い出話や少年時代のことを話してくれて、楽しく過ごしていました」とにっこり。
工藤自身はアメリカ、メキシコ、韓国など海外での試合は体験しているが、長期の海外修行は未体験とあって、今もハヤブサさんのメキシコ話をハッキリ覚えている。ハヤブサさんは工藤が入場時に花道で近づいてくるファンからも守ってくれた。
96年からデスマッチにも進出。女子初のハードコアマッチ出陣には「もちろん不安はありましたが、すんなりとリングインできました。周りの男子選手が体を張っていましたから、私も頑張らなきゃ、と必死でした」。FMW愛に燃えており無我夢中だった。
有刺鉄線や爆破などでは、コスチュームが破れるハプニングにも襲われたが「特に対策はしていなかったですね。今、思えば危ない怪我をしなかったのは運が良かっただけかなと笑顔が弾けた。
「邪道姫」としてFMWを支えたが97年に引退。イベントに参加したり、テレビ解説をしたりして外からプロレス界をサポートしていたが、2015年に「超花火プロレス」のエグゼクティブプロデューサーに就任し、プロレス界に復帰した。
4・10決戦の大会タイトルは「プロレス」。さまざまなプロレスの醍醐味を1枚のチケットで満喫できる大会となっている。大会アンバサダーは蝶野正洋、立会人ゲストに天龍源一郎とレジェンドが来場し、トークイベントも予定されている。男子だけでなくブル中野もセコンドを務めるなど、一世を風靡(ふうび)した女子選手も参加する。
試合もZERO1戦士だけではなく、新日本プロレス、全日本プロレス、ノア、大日本プロレスなど多くの団体から参戦。フリー戦士も駆けつけ、まるでオールスター戦のようなにぎやかさ。実は本来は20周年記念大会として昨年、実施されるはずだったがコロナ禍で延期されている。「この1年をマイナスにとらえず、陣容を充実させるための貴重な時間と捉えて、みんなで頑張った結果です」と、工藤は前向きそのもの。
今年は新日本、全日本が50周年のメモリアルイヤーを迎え、記念マッチやイベントを開催している。「私たちも負けないように、応援してくれるファンの皆さまの期待に応えたい」と意気込む工藤。「みなさん、会場でお会いしましょう!」輝くような「くどめスマイル」でさらなるサプライズをプレゼントするため、ラストスパートに突入した。