デビュー50周年のアリス・矢沢透「本当はオフコースでやる予定だった」 今明かした秘話
「結構、僕、若い時は音楽には厳しかったんです」
続いて50年間を振り返って印象的な思い出も聞いた。
「無名で貧しかった時が一番楽しいよね。『冬の稲妻』とかヒット曲が出るまでの4、5年が一番楽しかった。焼き鳥店の煙が漂う場所とか、ステージが地べたとか。住宅展示場で歌うことになって行ったらステージがなく、どういうことかと思ったら、地面に線が引いてあって、その中だというんです。お客さんと同じ目線で歌いました(笑)。でも夢を追っている感じが好きでした」
谷村と堀内の魅力も聞いてみた。
「谷村は曲作りとかで出てくるものが僕には全くない物があっていいなと。自分に厳しい人。堀内は飾らない人。気さくで人間的にもいい感じです」
仲良く50年やってこられた要因は。
「若い時は衝突もありましたよ。必ず2対1になって誰かが孤独になるんだけど。そういう時も経て仲良くなったのは3人とも優しいから。年を重ねて相手のことが分かり、同じ思い出もあり、すべてに寛大になれて、許せるようになっていったと思います」
3人の中で、矢沢はどんな存在だったのだろう。
「今、周囲に緩衝材のような言われ方をしますが、結構、僕、若い時は音楽には厳しかったんです。アレンジは全部やっていましたから。今は、言っても無理だなと思ったら言わないし、言わない自分に腹も立たないし(笑)。昔は重要じゃないところもちゃんとやらないと気が済まないタイプでした。今は寛大になれたということかな」
活動休止発表の1981年には谷村、堀内はソロ活動を活発化。矢沢は?
「僕もBLENDというバンドをやっていました。英語で歌っていましたが、売れずに約1年で解散。それからは早見優とかシブがき隊の曲とか作曲活動をやっていました。あとはお店をやったり。バブルですごかったんです(笑)。これ、楽しいなと思って」
最後に矢沢にとってアリスとはどんな存在か聞いた。
「アリスはかけがえのない存在。それがすべてではないけど、僕の人生の中でアリスを除くことは絶対にできない。アリスがないと僕もないのと同じ。体力があって健康だったら、これからもアリスの違う魅力も出せたらいい」
□矢沢透(やざわ・とおる)1949年2月6日、神奈川県生まれ。66年に「中野彰とそのグループ」のバンドボーイとしてドラマーデビュー。その後、ジャズ喫茶でアルバイト、バックバンドを務めるなどの活動後、71年にソウルバンド「ブラウン・ライス」のゲスト・ドラマーとして海外ツアーに参加。ツアー中に出会った谷村新司と意気投合し、1972年にアリスを結成。81年の活動休止後にはBLENDというバンドを結成したが間もなく解散。その後、都内に串焼き店やギターショップを開店するなど実業家としての活動も開始。好きな食べ物はチャーシューとなべ料理。